あれから十年
光陰矢のごとし
脱サラして、この道に入って、気がついたら2008年4月で丸10年が経ちました。
長かったようで、あっという間の月日でした。
修行を始めた頃、ある親方から「植木屋は10年やって一人前。」と言われました。
つまり、ようやく今年で初心者マークはとれたのかな、という気持ちです。
でもですね、単に歳食っただけなのかもしれません。
今の自分がいっぱしに仕事をこなせるなんて、そんな自信は涌いてきませんもの。
その自信とは別に、確かに歳食うくらいは色々な経験をしてきたな、と懐かしくは感じます。
右も左もわからず、言われている意味も理解できず、一人空回りをしていた一年目。
それから刈り込みや手入れの仕方を覚えていきながらも、ゴミかたしばかりやらされていた月日。
ゴミの中から切った後を見つけて、切り方を覚えようとしました。自分に、これも仕事だと思いこませながら、もんもんとした雑用の日々を繰り返していました。
ようやく3年目あたりから自分のお客様ができてきましたが、作業のメインは親任せ。
5年目あたりでなんとか仕事がわかってきて、自分で庭を操る楽しさを感じるとともに、まわりの同業者の仕事ぶりにも目がいくようになりました。
それからさらに続けた精進の日々。
早く認めてもらえるように、仕事以外の時間はなるべく資格試験の勉強や図鑑とにらめっこ。
休みの日は植物園、庭園巡り。奥様にはどれほどお付き合い願ったことか。
仕事が見えてきたこと故に、自分の実力のなさに一番焦っていた時代です。
その焦りからか、足を骨折したのもこの頃です。
自分の仕事ぶりがどうのとかと言うのではなく、一般の方々にもっと造園の仕事を知ってもらいたい、広く役に立つ情報を掲載していきたい、という気持ちを具現化させる余裕が出てきたのは、ようやく10年を前にしての話です。
これから10年
ということで、修行をはじめて満10年を迎えた自分がいます。
サラリーマンとして4年働いただけで、怖いもの知らずに仕事ができたあの頃。
そんな4年間の自尊心を捨てきれず、始めのころは素直に言うことを聞けませんでした。
今ではその尊大な自尊心を持った年数以上に、この仕事が長くなっちゃいました。
いつまで植木屋を続けられるでしょうか?
今の造園を取り巻く環境は、決して追い風ではありません。
物価は上がり調子で、生活に必要のない出費から先に削られるわけですし、車社会の変遷により庭も2台目、3台目用のガレージに使用し、植木を植えるスペースはありません。
昔は、’お互い様’という意識であったお隣さんとの付き合いも、庭木がもとで諍いが起き、殺人にまで発展する時代です。だから植木はトラブルの元、ないほうが無難、と思う方々が多いです。
もとより植木に関心のない方も、今まででは考えられなかった以上に増えています。
自然環境は騒がれていても、自分の家に木を植えて酸素を作ろうなんて、温暖化を防止しようなんて意識はないわけですが、そういうナショナリズム、自分の庭に感じられるとちょっと誇らしく思いませんか?
これから10年、単に個人のお客様だけ追っていては、植木屋独自の指名は果たせないのかもしれません。先ずは生き残ることが’先にありき’ですが。
背負うもの