芸術家である!
設計士たちの勘違い
「そこに木を植えるなんて、俺のデザインが崩れるだろ!」
設計士に庭を頼んだお客さんが、西日を遮るため木を植えたいと頼まれたときの会話。
「ここに芝を張ると必ず枯れますよ。玉竜の方がいいのでは?」
「いや、枯れたって構わない。最初の出来栄えが大切だから。」
これも、別の設計士に指摘したときに返された言葉。
?
自分には、彼らの言葉が理解できませんでした。
どうも、彼らは自分が芸術家だと勘違いしているようで、自慢のコレクションの作品として
お客様のお庭を考えているようです。
植物図鑑を持ち出して、木の性質も知らずに、
「花がきれいそうだからこの木にしよう。これ、探してきて。」
なんてこともありましたね。今頃は大木になって、お客さん困っているだろうな。
もちろん、ほんの一部の方々だと思いますけどね。
家つくりは植木屋選びから
以前、植木の配達に行ったお宅を拝見すると、庭の構造がとても使いづらいものになっておりました。
「メーター類は家の表に出してもらえばよかったですね。」
「そうなの!家のデザインに夢中で、庭まで気がまわらなかったの!」
ちなみにこちらのお宅は、図面と違い、配線が地面の下10cmにいたため、植え込みがかなりたいへんでした。
こんな例は、はっきり言って普通のことです。
配管が、斜めに家を横断していたり、花壇用の土が15cmしかない、工事していたときに食べた弁当の容器が埋めてある。
何せ、多くの人が携わる家つくりですから、引き渡されて見える部分がきれいなら、誰も文句いいません。
だからこそ、最初のプランニングのときから、最後まで相談に乗ることのできる、植木屋さんというのがいると便利なんです。
家の構造だけではなく、敷地全体を見渡すことができ、仕事は最後にならなければ仕上げられない。
しかも、手入れをするなら毎年そのお客さんと顔を合わせるから、変な仕事もできない。
味方にすると、実は一番頼りになるのです。
我々は職人か?
自分はこの仕事が好きです。
最初の頃は、実は、植木屋は人が住みやすいように環境を破壊し、害虫と称して虫を殺している、何か、
後味の悪い仕事だな。
そう考えて悩んだこともあります。
我々は、いいものを作るだけが仕事ではない気がします。
木は生きています。
環境を破壊してまで、新たな木を植え、自然を模造します。
そうまでして作った庭ですから、、自分が携わった庭には、未来に向かってよくなるようにしていく責任が
あります。
そのためにも、お客様と手をとり、皆が好きになれる庭を目指さねばなりません。
環境を人の住みやすいように変えてしまいながらも、全てが共存できる環境を作っていくこのできる仕事。
今は、そう思うこととして、そういう理想を持てるこの仕事が好きです。
我々は職人か?
そのことに大きな解答はありません。
自分の場合は単に、ロマンチストなだけなのかもしれませんが。