植木屋さんは人見知り?
言葉足らず
自分がこの仕事をはじめたとき、戸惑ったことの中に、この親方の説明不足ということがあります。
「これをやっておけ。」
と言われても、もちろんやりますが、それがどういうことをすることで、それをやるとどうなるかわからずに作業をしなければなりません。
「この木を刈り込んで。」
なんて言われて、はさみの持ち方も見よう見まねで持って、どのくらい切っていいかもわからずに作業を行うのです。そして、戸惑いながら作業をしていると、
「そうじゃない、もっと切るんだ。形もいびつだし、太い枝は残さないんだ。」
と、しかられます。
ホントはその都度、ちゃんと説明してくれればわかる話だとぶつぶつ一人愚痴りました。
切り込む深さは、昨年の切り後まで。昨年の切り後というのは、枝の色の違いとか、切った後を見つければよくわかるし、柔らかい枝を残すほうが仕上がりに自然な柔らかさと、品が出る。
なんて程度のことだけでも教えてくれれば、なるほどと思いながら作業ができるのです。
ですから、なんでそんな混乱させるような言い方や、いじわるな言い方しかしないのだろうと首をかしげまくりです。
サラリーマン時代、どうやってお客様にわかりやすくプレゼンするか、どうやって現場の作業員にお願いする作業を間違わないように、早くできるように、全てのうまく流れるように段取りを考えていた自分にとっては、理解に苦しむ作業方法です。
下の者が苦労するような作業法しか提示しない親方に、敵意さえ感じました。
もともと職人の世界というものは封建的で、頑固で、寡黙なところだったのでしょう。
仕事は教えられるのものではなく、見て盗むもの。修行は時間をかけて少しづつ段階を経て覚えていくもの。
どつかれたり、文句を言われるのは当たり前だし、それが人を作っていくことだ。
そんな世界観と伝統、それは今の年配の親方衆にとっては当たり前のことです。ですから彼らも同じように若い衆に教え込もうとしているだけです。
そして、そこで磨いた知識と技術は、自分の絶対的な武器となるのでしょう。
そうしてやっと身に付けた技術は、簡単に他人に教えたくないものでもあるでしょうね。
残念ながら、我々若い世代の連中は、そういう修行をする根性が薄くなりました。
集中力も、忍耐も、昔の方々のような粘り強さはありません。
「お前なんか止めちまえ!」と怒ると、
「ハイ、止めます」と素直に止めていく世代です。
それがいいことか、悪いことか、なんでそうなったのか、きっと突き詰めていくと色々考えられるのでしょうけれど、一番大切なのは、では今彼らに教えていくにはどうすればよいのか、です。
作業も、教え方も、伝統は残しながらも、今風に変えていくことも必要なことではないでしょうか?
頑固な姿勢は、お客様に対しても変わりません。
話しかけても「はい」とか、「ええ」とか相槌しか打たない方や、中には木の名前を聞きたいのに、怖そうで話しかけられないというお客様もいました。
また、ごみは片してくれない、植木以外の植物は邪魔なので踏みつけたり切ってしまう、お客様にお茶などを催促する、びっくりしたのはその年気が向かないと手入れに来てくれない。
などいう方々もいるようです。
お客様が、それが一流の証拠だと思ってくれていれば文句は言いませんが、申し訳ありませんが、自分にはそういう考えはできません。また、そういう一流の職人にはなれなそうです。
困った職人たち
何度か、他の文章でも書いていますし、この仕事に免許がないことも言いました。
しかし、また繰り返してしまうようですが、この仕事をしてこれでいいのかと思ったのは、その植木屋によって技術力がまったく違うことです。
下積みをしてきた方々は、わかっていても説明してくれないのですが、技術知識がない方々は、’自分でもわからない’ので説明しないのです。
「どうして木を植え込むとき、根を布で巻いたまま植えるのか?」という疑問に、
「そうすれば枯れないんですよ。」
という回答をしていた植木屋がいました。
お客様がどこまで納得したかわかりませんが、それではどうして枯れないのかがわかりません。
数学の試験で、途中の過程を書かずに、いきなり解答を書くことと同じで、それでこの答えにマルをつけることはできない相談です。
それと同じような、あいまいな回答は自分もよく耳にしますし、お客様からも植木屋に対して苦情を言われる方もおられます。自分もお客様の立場だったら、それじゃ納得できません。
また、それで仕事になっているところが不思議です。
もしくは、別にお客様が気に入る才能をもっているのでしょう。
身内の恥をさらすようですが、説明不足は植木センターでの接客にも言えることです。
お客様に、「いらっしゃいませ」が言えないことも欠点なのですが、彼らの最大の欠点は、「わかりません」をはっきり言えないことです。
わからないことは、ごにょごにょとお茶を濁すより、
「すいません。勉強不足でわかりません。勉強してきます。」
って、はっきり言ってしまったほうが質問しているお客様にとってもよいことです。
自分は、その場しのぎのあいまいな返事や、いい加減なことは言わず、わからなければはっきり言え、ということをこれもサラリーマン時代に叩き込まれました。
時間や出来にシビアな仕事だったからこそ、余計徹底された事項です。
今では、あの頃の修行がとてもありがたく感じています。
これも職人根性
最近何となく思うようになりましたが、なぜそんなに言葉が少ないのかというと、自分たちは職人であり、営業マンとは違うから、’当然’お客様に好印象を与える必要はない。
と、思っているというより、自然と身についている職人気質なんだという考えです。
集団で仕事することはあっても、結局は個々人の作業ですし、相手にしなければならないのは庭木なわけですから修行をしていても、接客なんて頭にないのでしょう。
ですから、植木屋さんは人見知りだと言われても仕方がないのかもしれません。
しかも、植木屋の年齢も上がってきていますから。お客様が年下だったら余計、話すのが面倒なのかも。
先日、知り合いから聞いた話です。
ある大きなお屋敷を手入れすることになった、自分と同じくらいの年の植木屋さんがいるそうです。
今までは、8日間手入れにかかっていたお屋敷ですが、彼は10日間かけて手入れすることでも、お客様は納得してくれたそうです。
なぜ、今までより2日も多くかかるようになったのに、その植木屋に任せることにしたのか?
それは、その若い植木屋が、木の一本一本まで、この木はどういう風に手入れして、どういう形にしていくから何日かかります、と説明したそうです。
今までの年配の植木屋さんは、腕は悪くなかったようですが、来たら説明なしに手入れをして帰るだけ。
しかし、この若い植木屋はちゃんと話をしてくれて、こちらが納得した上で、作業をしてくれる。
ですから多少費用がかさんでも、こちらの植木屋さんに頼んだそうです。
もしその植木屋さんが近くだったら、自分もぜひ会ってみたいと思いました。
お客様の中にも植木に興味はなく、庭に生えているから、仕方なく毎年手入れしてもらっているので、安いほうがいいし、どうでもいいという方もいらっしゃるので、皆がこの植木屋さんを感心するわけではないでしょうが、話のできる植木屋さんだと、お互い刺激になって、新しい楽しみも増えるかもしれませんよ。