自然は厳しいからこそ美しい
山ガールなる女性たちが話題になりました。登山ブームが続く中、今までないお洒落なファッションで山を闊歩する彼女たちの姿は、見かけでけではない強さを感じさせられます。
自分も自然の風景は大好きで、10代の頃よりデートは名勝地などに多く行きました。
人が作り出すものもすごいですが、自然は計算するわけではないのに、すばらしい絶景を生み出します。そのパワーをもらいによく出かけました。
しかし、、実は我々が思っている以上に自然界の掟と言うのは厳しいものです。
原理は簡単、’強いものが勝つ’ですからね。
環境に適応して根を伸ばし、枝を張り、少しでも他の樹木より大きくなり、子孫を残すためにあの手、この手で進化した結果が、その場所ごとに根付く樹木になっているわけです。
折角適応しても、その場の環境が変化すればまたダメになってしまいます。岩でも泉でも沈下したり、削れたり、涸れたりする中で、それでも生き残った植物だけが今あるわけです。
どれだけの犠牲があったにしても、彼らはしゃべりませんし、動くこともありません。
しかし、泣き言も言わず、何億年の間に進化し、永遠と子孫を残すことだけを念頭に生きています。
そういう厳しさの中にあるものだからこそ、時に奇跡にしか見えない景色を作り出すのです。
庭は自然ではない
植物を植え、育てることを人はよく飽きずに続けるものだと感心します。
江戸時代の庶民は、ほとんどが長屋住まいでしたが、その庭先には木が植えられ、鉢物が置かれ、草花の品種改良も流行りました。
現代では、1戸建ての家に住むことは当たり前になり、誰でも自分たちだけのスペースを楽しむことができるようになりました。人によって使い方は違えど、大概のお宅には必ず1本は木が植えられています。
当たり前ですが、この樹木は勝手に生えたわけではなく、人為的に作られたものです。
しかし、この樹木には、自然界の掟は通用しません!本人が環境によってこの場所を選んだのではなく、勝手に運ばれたきたのですから。
自然の掟は通用しませんが、生き物には変わりません。意図とは別にそこに植えられながら、適応した樹木は伸びるし、相性が合わなかった樹木は枯れることもあります。
’庭を作る’ということも同じです。あくまで自然を模し、そこに人の理想を見出し、自然以上に手の込んだ自然風景を描こうとします。
そして、一番大切なことは、その庭は’人間の使い勝手のよいことが一番である’ことです。
その庭は、後はあなたがた植物たちが、好きに伸びて生きてね、ではなくその後も樹木を管理することで保つための庭なのです。
では管理しないとどうなるのでしょう?
もちろん意図して作った庭ではなくなるでしょう。
始まりは自然ではないのですが、植えられてから新たな生態系がそこに生まれます。
先に述べたように、その場所に適応した樹木は伸びだし、合わなかったり負けた樹木は弱り、枯れます。
植えていないのに雑草や、そこではよく育つ樹木が生え、虫が発生し、病気が出ることもあります。
伸びたせいで庭は狭く歩けなくなり、荒れると見ていられなくなって、見るのも嫌になります。
結果、悪いことの連鎖でご自分の家の庭なのに負担に思うことしかなくなるのです。
自然界では調整できていたそれらの虫も、天敵が生まれない場所であれば大量発生の原因にもなります。
お客様で、ナチュラリストを名乗る方がいらっしゃいます。
除草剤や、殺虫剤は使用したくない。雑草も生えるのが普通ならそのまま生やしておけばよい。虫も付いたって木があるなら当たり前だし。そう考えていらっしゃるのです。
自分が一番気を使うのは、それがご自分の家だけでの問題ではないことです。
もし住んでいるのが自分だけしかいない、またはお隣は遠くにある場所なら構いません。
しかし、普通の家はすぐ隣にお隣さんが住んでいらっしゃいますよね。
そうやってコミュニティを形成して人は住んでいるんですから。
コミュ二ティで暮らすということは、人と人との円滑な関係を保つことが一番の命題です。そういう関わりが嫌な人は、本来住めない場所です。
庭を管理するということは、つまりそういうことです。
伸び放題の枝が、お隣の庭を侵食し、虫たちはそこから移っていく。
それで隣人トラブルになるなんて珍しい話ではありません。悲しいことに樹木が悪者になることだってあります。本来植物がないと生きていけないのは人間の方なのに。
だからこそ、自分の家の木であるからという自己責任ではなく、隣人に迷惑をかけることは避けなくては、という気持ちからも、庭の樹木は管理しなくてはなりません。
庭は管理してこそ美しい
家を買ったら樹木もついてきた、という方も多いと思いますし、好きで植えた方もいらっしゃるでしょうが、いずれにしても植えっぱなしにはできません。
適正な大きさから過ぎれば切るのが普通ですし、虫が出れば何らかの手段を困じなければなりません。
多くの方が、樹木を切ることを義務としか考えていないようで、ただ小さくすればよい、というような管理をします。 自分は、毎年剪定することによって、’樹木をかっこよくする’ことが本来の管理だと考えています。
これは、本来この仕事を生業にする人なら誰でもそう思って仕事をしていただきたい!と思うことなのですが、残念ながらそう考える人の方が少ないことに落胆を隠せません。
植えられた場所には植えられた場所に合う形がある、はずです。
作った人が誰であれ、その庭には作られた方の意図があります。
年数が経つにつれ、その意味合いが薄れ、ただ伸び放題になっていたり、切っているだけの庭を見ると、この庭は本来もっと良く見せることができるはずだと感じます。
それが適当に植えられた樹木だとしても、それをさらに良く見せる管理をすることが、プロとしても仕事だと思っております。
庭を管理することが、単に苦痛だと感じている方は結構多いのではないでしょうか?
自分も仕事を頼まれるとき、そういう言い方をよくされるときがあります。
自分にできることは限られますが、できるだけ庭を、そして樹木を好きになってもらいたいと思い、予算と時間の範囲内でベストを尽くす仕事します。
時にはお客様と話をしながら、希望に沿うように切ったり抜いたり、植え替えたりもします。
そういうやり方を続けいると、お客様の中には、今まで感じなかった自分の庭の良さを感じるようになったり、次々アイデアを出しながら変わっていく庭を楽しめるようになった方もいらっしゃいます。
「お願いするようになってから、庭をいじる楽しみを知りました。」「草取りとか、苦痛は変わらないけど、庭がきれいになって、樹木がよくなると、庭に出るのがうれしくなった。」
とそれまで庭に興味があった方以外にも、庭を好きになっていかれる方もいらっしゃいます。
庭を管理することは、単なる義務ではありません。それを切る人間も闇雲ではいけませんし、単なる金儲けの手段ではダメです。薬もまくことも本意ではないでしょうが、コミュニティの中ではある程度大切な行為です。
庭を楽しめるようになる手助けが少しでもでき、そうなる参考にこのサイトがなってくれるとうれしいのですけど。