難しきはお隣さま
向こう三軒両隣
江戸時代に発達した最小の互助組織を、向こう三軒両隣、という言葉でよく表します。
当時は、防犯、防災などの五人組としても使われていた組織で、現在でも同じように機能していますね。
言うまでもなく、自分の両隣のお宅と、向かいの三軒のお宅ということです。
特に親しい間柄を示す言葉としても使われていたのですが、現代においてはお隣は、親しい関係にはならなくなったように思われます。
それは、自分がお客様のお宅に仕事に行くと感じることです。ニュースでも隣人とのトラブルや、無関心が原因の事件が取り上げられているので、言わずともみなさんよく感じていることかもしれません。
これは特に、新興住宅街で顕著に感じることです。元々マンション住まいだった方や、初めて家を持つ方が多い地区だと思うので、住まれるみなさん戸惑っているとこもあるのでしょう。
お客様のお宅で仕事をしていると、、お隣さんなども興味を持ってのぞきに来たり、庭先で目が合って話をするようになったりします。そこから新たな仕事にもつながりました。
「植木屋さん、お茶入れたから飲まない?」仕事をしているお宅ではなくて、お隣さまからのお誘いなんです。
恐縮してしまいますが、大変うれしい瞬間です。
その輪が徐々に周囲に広がることで、我が家の仕事も拡大してきましたし、そういう広がりが我が家の強みであったのですが、何年通い続けても一向に周りの方と打ち解けない現場もあります。
最近目立ってそういう傾向が強くなってきました。
危惧する気持から、仕事をしながら自分が体験したことや感じたことをここに書きたいと思います。
情けは人のためならず
我が家も、合計すると数百件にのぼるお客様のお宅に仕事に行かせていただいております。
仕事柄、どうしても作業するためにお隣の敷地に入らせていただくことがあります。
庭木を手入れする際、どうしてもお隣との境界にかかっていますので、足場を借りたり、お隣に落ちてしまった剪定枝を拾わねばならないからです。
その場合、なるべくお客様からお隣の方にお声をかけていただくようにしますが、いない場合は自分で行くこともあります。また、長年お世話になっているお客様のお隣や、入らせていただく程度によってはお声をかけずにお邪魔することもあります。
お声をかけずに入って、たまたまお隣の方に出くわしたとしても、お話すると「こういうことはお互い様だから。」とほとんどの方が快く入れさせてくださいます。「いちいち声掛ける必要ないから、今みたいにいつでも勝手に入っていいよ。」と言ってくださる方もいらして、本当にありがたいことです。
しかし、これが人付き合いを円滑にしていく手法なのだと、昔の方は無意識にわかっていたことだと思います。
お互い我慢すること、気を使うことがどうしても大切なのですから。
今度は自分の家の手入れをする場合、お隣を借りることになるわけですしね。
こういう人付き合いに慣れてしまうと、全てのお宅でこれで済むと思ってしまう錯覚に陥ります。
中には、勝手に入ったことを怒る方もいらっしゃいますし、話をしても入れさせてくれない方もいらっしゃいます。入れさせてくれても非常に迷惑そうになさる方もいらっしゃいます。
自分のテリトリーに入られることに、非常なる嫌悪感を持つのでしょうか?
申し訳ありませんが、そういうお宅ほど家の周りは荒れています。ご自宅の樹木が、周囲のお宅の敷地に張り出してしまっていますが、それってどうやって切るのでしょう?
周囲のお宅には、自分だけお互いさまを通すのでしょうか?
お互いさまだから切らないのでしょうか?
場所によっては、隣人同士仲が悪いところもあります。
お隣のお宅へ挨拶に行ってもらおうとしても、「あまり好きな人じゃないから、植木屋さん言って。」「お隣さん苦手なんだ。話したくないから勝手に入っちゃって。」と言われることもあります。
ひどい場合では、顔も合わせないし、絶対相手の言うことは聞かない、というほどお互い意地になって喧嘩なさっているところもあります。
そういう現場はこちらも大変です!手入れに行くとお隣さんが見張っていて、お隣に剪定ごみを落としても即座に掃除されます。やるから入らせてくださいと言っても、「お互いさまですから!」と強く言われ、シートを敷くことすらさせてくれません。さらに一切そちらの敷地にいれさせてもらえないので、境界面の手入れもうまくできないほどです。
きっとどちらのお宅だって、個人的に付き合えば悪い方々ではないと思います。
どうしてそこまで意地になってしまったのか、ちょっと残念でなりません。
お隣と仲がよくないというだけでしたらまだいいのかもしれません。お隣に何かあることをよく見ている方もいらっしゃいます。例えば、薬剤を散布するために、原動機付きの噴霧器を作動させると、飛んで出てきて、「うるさい。」「薬が飛ぶのが困る。」などと言われます。
これは仕事とは関係ありませんが、深夜帰宅した娘さんがシャワーを浴びていると、向かいの方から電話で「夜中にシャワーを浴びるなんて、常識がなさすぎる!」と電話をもらったお客さまもいらっしゃいます。
人と人とが打ち解けることは時間の要することです。しかし、漫然と構えていてもそれが解決することはありません。
それにはきっかけや、働きかけが必要なのではないでしょうか?
袖すりあうも多生の縁
今まで書いてきた内容の逆パターンもあります。
それは、お互い隣人にまったく無関心であること。正直隣人付き合いは、自分も億劫になることがありますから、大きなことを言える立場にはありません。
隣が何をしようと関係ないし、害が及ばなければ知ったことはない。
多少迷惑であっても、トラブルになるのが嫌だから我慢してやりすごしてしまう。
そんな余所余所しい空気を感じる現場もあります。
実はこちらの意識の方が、深刻度は高いと思います。
それは、最近の隣人トラブルから来る自己防衛手段なのでしょうか?
しかしトラブルは、そういう無関心から生まれた産物だとも言えます。
そいいうものを現代病の一つと位置付けてしまうと、きっとそれまでの話なんでしょうね。
自分が説教臭いことを言うのもおかしいことですし。
でも、自分はこう思うことにしていおります。
それが、’袖すりあうも多生の縁’という言葉です。
歩いていて、ただ袖が触れ合うだけであったとしても、そこには何かの縁がある、ということです。
世界に60億以上の人口がいる中で、同じ場所に居合わせる確率とはどのくらいあるのでしょうか?
それを単なる統計とか、偶然で片づけてしまえばそこで終わりですが、そう思うだけではつまらないと感じます。
これがいいことにつながるか、よくない出会いになってしまうのかは別として、その瞬間に居合わせるだけであっても、何らかの因果があってのことと思いたいのです。
そう思うからこそ、この仕事で人と知り合うことが楽しくて仕方がないのです。
自分から望めば、教えるだけではなく教わることも多いし、失敗から学ぶことだってできるのです。
それがもしお隣さんであるなら、なおさら縁(えにし)が深かったんじゃないでしょうか?
そういう縁は、普段は感じないことでしょうけど、災害や緊急時には大変力を発揮します。
その瞬間になってから重要性を実感しても、救える命も救えない結果になるかもしれません。
いくら親友や親せきが大勢いる方だとしても、一刻を争う事態で助けを求めるのは周囲の方ですから。
田舎も都会もありません
ここからは、ちょっと愚痴かもしれません。
人間関係が希薄になっているのは、何も住宅街ばかりではありません。
我が家は市街化調整区域に家があります。
分家住宅以外に新しい家が建つことはほんとどなく、近所も知った方ばかりですから、付き合いだって楽に見えます。
自治会だけではなく、隣組のような以前からある体質はそのままですし、祭りやゴミ拾いなど地域行事も旧来のままです。娯楽の少ない昔の農村部では、そういった行事は仕事を休め、皆と集まれる少ない機会だったのでしょう。
そこから付き合いも深まったのでしょうし、地域に溶け込むきっかけになったはずです。
しかし、これだけ情報が世界中を駆け回り、価値観の多用化した現代においては、返って行事は重荷の種。
他にやりたいことがあるのに、わざわざそのために時間を割いて参加する。
まあ、そこは年に1,2回のことですから、地元の付き合いという意味で集まっているわけですが、なかなかその’地元のつきあい’を最初からしたくない、理解できない若い世代が増えました。
ここでいう若い世代とは、20代、30代です。予想より上の年齢の方も含みます。
こういう方々は、仕事が忙しいことを理由にもします(誰もが暇だから参加しているわではありません!)が、地元に依存したり、助けてもらう必要などないと考えているのでしょう。
また、高齢化のせいもあり、付き合いは親がしているのだから、自分まで出る必要もないと思っているかもしれません。
穿った見方をすると、それらは全て面倒なことを避ける言い訳としか思えませんが。
それに対し、親たちも強く言うこともないし、例えば消防団の勧誘に行っても、「せがれは入らない。無理だ。」と親がガードして本人に会うことすらできないお宅もあります。
こうなるとさらに意味不明です。それは過保護を通りこしている気もしますが、1件、2件の話ではありませんし、どの地域の消防団員と話をしても同じことを言っております。
最終的には個人の問題ですけど、何か子供を自由にさせすぎた教育と、経済発展優先の社会風潮が、甘やかしと躾を間違えて来てしまったのかなと感じます。
誰が悪かったのか、ということではなく、今皆で社会とのつながりを意識しなおさないと家族すらバラバラな現代、日本と言う国自体が形成できない世の中になりそうで大変心配です。