ー1泊2日弾丸軽井沢ー
2日目;ここだけは見ておきたかった軽井沢

〜その2〜

おもちゃ王国があるのは、軽井沢でも北部に位置する奥まったところです。
観光の出発地点としては、少しズレているとも言えますが、ここから家路に向いながら、観光スポットに寄ろうと考えるならば悪くないと思えます。
朝の時点で、行きたいところを上げてみて、後は成り行きに任せるしかありません。
実際に行けたのは、大きく分けると鬼押し出し、旧軽井沢銀座、めがね橋の3地点です。
順番に掲載していきましょう。

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相嶋造園
軽井沢、そこは誰もが憧れるオアシス的避暑地。
そこに、おしゃれさとは無縁と言える、一家が行きました。
もちろん、目的は’建設機械を見るため’です。
せっかく行くのに日帰りではもったいない。
なんとか時間を工面して、1泊2日の観光盛りだくさん朝から晩まで動きづくめの弾丸ツアーを敢行しました。
何せ子連れの弱み、行ける場所を絞りきっての観光ですが、なかなか大して面白く仕上がっておりますよ。

 鬼押出しで午前中を満喫した我が家は、お昼を食べて体力回復!子供たちが寝てしまえば次を考えようと思ったのですが、まだ元気なようでやる気です
 ここから向かうは、軽井沢一番人気の旧軽井沢銀座方面。
途中、石の教会をぜひ見たかったのですが、通り過ぎてしまい、まっすぐ向かうことにします。
それ以外にも、走りながら目移りする場所がたくさんあるのが軽井沢です.

 

旧軽井沢銀座、まだ元気だウォーキング

 憧れの旧軽井沢銀座です!
 この地は、かつて旧中山道の軽井沢宿として発展しました。その後は外国人の避暑地として栄え、今に至ります。
 何度も軽井沢に来ながら、実は初めて寄ったという恥ずかしい存在であります。

 もともと目的があってここに来たわけではないので、何があるかな?からスタート。
 となると、結局自分の目当てはワイン。お酒屋さんもありますね〜。飲ませてくれるお店は…、ありました!けどサン・クゼールさん。いつもレイクタウンでお世話になっているお店です。ここまで来てどうよ、と思いつつ、5種類くらい試飲。日本のワインも個性があるものが増えてきました。
その中で、1本軽井沢の名前のついた面白いものをゲット。そのうちどこかで掲載できるかな。

 おしゃれなお店が多い中、こちらのお店はさらに洒落ています。建物もかなり複雑な上下構造で、使いやすいかは別にして面白いです。さらに面白いのがこの店舗前の植栽。地面全体に大きめの石が敷き詰められています。鬼押し出し帰りなだけに、こういう雰囲気が軽井沢らしいと思いました。どこかで使いたい手法です。

 軽井沢を語る中で、必ず名前の出る人物が、こちら日本聖公会ショー記念礼拝堂を立てたA.Cショーです。宣教師として来日したショーは、自身の療養のために訪れた軽井沢を気に入り、ここに礼拝堂を建てました。それが外国人の間でも話題となり、軽井沢を避暑地として有名にさせました。
このショーの顔、うちの出入りの電機屋さんの社長さんにそっくり!奥様と、「フルモトさん!」と叫んでしまうほどです。

 折角ですから、旧軽井沢銀座は離れてしまいましたけど、もう少し旧碓氷峠の見晴らし台方面に歩いて行きたいと思います。
 面白いことに、我が家は一番上の子供はアウトドア派で、こういう道が大好き、二番目は買い物派で旧軽銀座の方が好みます。
でも、その両方を楽しめるここはいいところです。
三番目も、ベビーカーの上で叫んでいます!
あんたたち、昼過ぎで眠くないの?よくまあ元気に走ること。

 ここまで来てみようと歩いてきた二手橋(にてはし)。江戸時代、中山道の宿場町であった軽井沢から、この橋の上で旅籠の人や旅人同士が別れを惜しんだと言われています。避暑地として有名になるまでは、ただの山の中の村だったのでしょうから、難所碓氷峠越えに向かう旅人にも感慨深い場所だったのでしょう。

 芭蕉の句の碑がありました。
野ざらし紀行の中の一句です。
’馬をさえ なかむる雪の あした哉’雪の降りしきる朝方、旅人の往来する様子を歌ったものです。
詳しい説明は看板に書いてあります。
 いくら田舎宿とはいえ、今でも名の知れた旅館が残っていることを思えば、江戸時代でもそれなりに賑わっていたのでしょうね。

 こちらは、軽井沢で一番有名であろう、軽井沢聖パウロカトリック教会。1935年に英国人ワード神父によって設立されたカトリック教会です。設計は、米国建築学会賞を受賞したアントニン・レーモンドが担当し、軽井沢での歴史的建造物でもあります。
 傾斜の強い三角屋根、大きな尖塔、打ち放しのコンクリートが特徴
ここだけは大勢人がいて、全体写真が撮れませんでした。また、不信心者が写真目的で入るのも気が引けて、内部も撮影しておりません。実際の教会はそう大きくなかったこともちょっと発見です。

 チャーチストリートを旧軽銀座に抜け、駐車場に戻ります。帰りにパン屋さんに寄り、ソフトクリームを梯子し、足早に立ち去りました。もう少しのんびりしたいところもありましたが、子供たちが疲れたようです。
一番上はまだ元気。二番目は何気に抱っこのおねだりで休んでいます。三番目はベビーカーで一人快適ライフ。ここが目的地ではありませんから、こちらも体力を使い切るわけにはいきません。
さらに先を目指しましょう!

めがね橋、なぜそんなに走れるの!?ウォーキング

 少なくとも自分は走り屋ではありません。度胸も腕もなく、しかも車を酷使してまで走る根性も資金もありません。と言いながら、古くは’よろしくメカドック’に影響され、’F’でレースを夢見、’イニシャルD’で峠に郷愁を感じました。と、言うことで軽井沢に来たら峠を走らずに帰りたくありません!もちろん安全運転碓氷峠攻めです。
それには、もう一つ見たい名所があります。それがめがね橋です。

 軽井沢方面から攻める碓氷峠は、ほぼ下りです。ですから、パドルシフトをフル活用して、できるだけ家族にGがかからないようにスピードをコントロールしながら、それでも後ろの車に追いつかれない走りを追及して車に拍車を駆けます。(後ろはおじ様運転のEクラス。無難な走りながら車の性能ぴか一ですわ。)
 7割ほど走り切ったところで、めがね橋見学用の駐車場が見えます。ここから歩きなので奥様と3番目はお留守番です。

 峠道を下ること10分、見えてきました!旧信越鉄道・碓氷第三橋梁です。通称「めがね橋」として親しまれています。長さ91m、高さ31mでわが国最大の煉瓦づくりアーチ橋です。明治25年に完成し、アプト式鉄道を支えてきましたが、昭和38年新線開通に伴い廃線となりました。平成5年に国の重要文化財に指定され、平成13年廃線敷を利用した遊歩道「アプトの道」として整備されました。
 なかなか来られる場所でもないので、一度来てみたいと思っておりました。辺鄙な場所なのに、意外と観光客がいることにびっくりです。

 こんなに大きい橋だとは思いませんでした!煉瓦200万枚以上を使用していると書いてありましたが、煉瓦でこれほどの建造物を作って、それがまだしっかりしていることがまた感動を呼びます。

 これだけの高さがある橋に登れるのですから、道は急こう配。しかし元気な子供たちです。二番目は途中から「抱っこ〜」になりましたけど。
途中まで階段を数えていたのですが、数の勉強不足により、こんがらがって終了ー。周りは大人しかなかったので、小さい子供たちは皆の応援の的でした。

 アプトの道は、アプト式鉄道時代の廃線敷を利用して、横川駅〜熊ノ平駅の間の約6kmを遊歩道として整備されました。自転車乗り入れ禁止で、本当に人だけの道になっています。橋の両側のトンネルの奥まで子供たちが歩きたがりましたが、奥様達が待っているのでここで引き揚げます。

仲がよいのか悪いのか、まあ元気だけが取り柄の子供たち。

 碓氷峠坂も、めがね橋まで行きは下りでしたが、帰りは登りです。これだけ歩いた後にも関わらず、一番上の子供は峠道を上に下に走り回ります。夕方まで昼寝もせずによく元気に走ること。大した体力と関心です。

 そのまま旧道から中山道に入り、高崎に抜けて北関東自動車道で帰路につきます。
 途中トイレ休憩と、買い出しのために立ち寄った「食の駅」、群馬の特産品や新鮮野菜を売る直売所でした。そこで見つけたこちらのワイン.塚田農場というワイナリーで作っております。

 見た目もエチケット(ラベル)もボルドースタイルなので、1000円という値段なら外れてもいいかと購入。これが実はうまかった!メルロー主体の味ですが、しっかりとしたボディーと樽香があり、この値段でこの品質は日本ワインではかなりお得。
軽井沢でいいお土産を見つけられなかった我が家としても、ここで手作りいいものを買えて助かりました。食の駅恐るべし。

 右は同じ塚田農場産、千曲川メルロー。メルロー種のイメージを覆す淡い色の、渋さや濃厚さのない飲みやすいスタイル。メルロー好きには受けない味ですが、産地の特性が出ているワインと言えます。

 こうして我が家の2日間の旅は終わりました。
奥様と二人の時のような、朝から晩までのお楽しみはありませんでしたが、それでもこれだけ動けまわれたことは子供たちのタフさのおかげです。
次の日はかなり疲れましたが、この連中のおかげで、この連中としかできない旅ができていることは、それなりに評価してもいいかと感じております。
大きくなってどれだけ覚えているかわかりませんが、残念ながらもうネット上に君たちの行動はばれていますから言い訳はできませんよ!