京王 百草園 (東京都日野市)

 多摩丘陵の一角に位置する京王百草(もぐさ)園は、もともと寿昌院慈岳元長尼が、徳川家康の長男・岡崎三郎信康追悼のために建てられた松連寺に、時代を経て作られた庭園が現在の百草園となっております。
’京王’とつく通り、現在では京王電鉄の所有になっています。
特に800本近く植えてある梅は、都内有数の梅の名所です。

 以前この先の駅に、友人が下宿していました。
そこに行くとき、必ず通る百草駅。そこに百草園なるものがあるそうだ、と知りながらも寄ることもなく時がすぎていきました。
 今回は、車なのをいいことに用事ついでに足を伸ばしてみました。
しかし!注意です!ここには駐車場がありません!自分も一旦引き返し、駅付近に車を預けてまた入り口に戻りました。(くれぐれも路駐はやめましょう!)
 プラス!ここが梅の名所とは知らずに来ました。時期が遅く梅は終わりかけ。
梅の記事を期待していた方々には、自分の無知を反省するしかありません。
でもですね、この時期ならではの、松の’雪吊り’がありましたので記事にしてみました。
 しかも、今までと違い園外の道行もちょっと記事にしました。
これぞ、まさに珍道記です!

百草園が梅林であることを知らずに行った愚か者でしたが、十分楽しめました。
付近の自然もすばらしく、特に帰りの道行きなどちょっとした冒険です。
すばらしい施設も良いですが、こういう何気ない自然こそ大切にしたいものですね。

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相嶋造園

 駅近くの川崎街道沿いに、コインパーキングを発見。1時間200円は格安です!
しかしここからでは、まだ600mくらい歩かねばなりません。
その道程がどれほどハードかは、一度車で入り口前まで行った自分が良くわかっております。

 当日ロングブーツで来た猫姉もローファーに履き替えて臨みましたが、他の女性方にもそれをお奨めします。
必ず、後悔しますから。

 基本的に住宅街を抜けて行きます。
都心と違い、ゆっくりした時間を感じられる住宅街を歩きます。

 時折、その一角に写真のような道祖神がありました。
こちらは庚申講の名残です。
歴史が残るこの地ならではの遺物です。
住宅街との共存がすばらしいと思います。

 今では庚申講を知っている人自体少ないでしょう。
そのうちそれについての考察をどこかに書いてみたいです。

 最初は余裕の散歩道でしたが、目の前に登り坂が見えてきて‥‥。

 いつの間にか、一緒に歩いていた周囲の方々も前かがみになっていき‥‥。

 あれ?なんか周りの方々が遅くなりなりましたな。
ここを車で登るときも、「これ登れるの?」と思う急勾配でしたからそうでしょう。
振り向いて写真を撮ると、そのまま転がっていきそうです。
くれぐれもヒールで登るのは無茶ですからね。

 坂の反対側には、鮮やかな竹林が広がっていてすばらしいのですけど、見ている余裕がなくなります。

 やっと着きました入り口です。
登りはさらに中まで、いえ、最後まで続きます。
覚悟を決めましょう。

料金は大人300円なーり。

 梅祭り開催中、ということで遅咲きの梅がきれいな花を咲かせています。
残念ながら、全体的にはすでに散り際でした。

 新しく植えられたらしいミツマタの木。周りの花弁(これは赤色ですね)が少し開き始めています。
園路は竹垣で、四つ目垣、金閣寺垣などで仕切られていて、ロープや杭と違う日本情緒を感じました。

 まだ作りたての金閣寺垣。
低い竹垣を作る場合によく使います。
 中が透けて見えるのに、しっかりしているところが魅力の垣根です。

 この地は、江戸時代から文人達に愛されてきた地で、芭蕉などの多くの歌碑などが残されていました。
 特に若山牧水は因縁が深い地のようです。

 松連寺跡に作られた、松連庵(今は蕎麦屋さんです)と、寿昌院慈岳元長尼が自ら植えたとされている寿昌梅。

 中腹にある休憩所。我々も大好物のこんにゃく玉と甘酒で小腹を満たします。
足元には、福寿草、水仙、クリスマスローズの花々が咲き誇っていました。

 すばらしい茶室ですが、それ以上に気を引いたのは、中門らしき門の屋根を覆う、シダ系の植物の垂れ具合。
こういう自然造形は、大変趣き深いです。

 松連庵の裏手に広がる、心字池です。
ここで、装飾的な松の雪吊りを見ることができました。
全部では5本くらいあります。
 裾を均一で美しく仕上げるために、竹の輪を作って縄を下ろしています。本来は雪で折れなくするためなので、枝に縄を結ばねばなりません。
 頭の飾りも、それぞれの人によって個性があり(自分の教わった親方は特に飾りませんでした)、ここでは二種類を使い分けています。
 んー普通は樹高の1,5倍の高さに飾りが来るのですが、ちょっと低いのですよね。低いとダイナミックさに欠けてしまいもったいないですが、庭の広さ、周囲の囲まれ方でこのくらいにしたのでしょう。

 朱色のボケの花と、黄色いサンシュウの花。

 庭の作法を知ると、さらに庭を見たときの発見と感動が多くなります。

 裏山に当たる、清涼台からの眺め。
はるかに東京タワーも見えました。
 火の用心の看板に、消防少年団とあります。
こちらにはそういう組織もあるとは感心します。
 早くもモミジの新芽が出始めていました。
実は野田市より暖かいのかもしれません。

 看板にある通り、裏山は難所です。
距離は大したことありませんが、起伏がかなり激しいです。
なので、やっぱりヒールでは歩けません。

 再び松連庵に戻ってきました。
ちょうどお昼ですので、こちらの名物を味わって帰りましょう。

 白いアセビの花が満開でした。また紫の三つ葉ツツジが咲き始めたところです。
青空も春ですねぇ。すすきも揺れております。

 ヨモギを練りこんだ名物のおそばと、梅餡とこし餡のおまんじゅうセットを注文。
店内は昔の建物の作りそのままなので、アットホームな開放感があります。

 猫姉様、今日もお付き合いありがとうございます。お疲れ様でございました。
 上の玉ものは、チャボヒバの列植です。
チャボヒバで玉ものを作ることは意外とないので珍しいですね。

 隣接する百草八幡宮にお参りして、車に戻ることにしまた。こちらも歴史深い神社です。

 百草園の入り口に向かってまっすぐ階段を下っていくと、正面にこんもりした七生丘陵が見えます。
その下を、百草旧道という道が続いていることがわかりました。
少し遠回りしますが、これは行かねば帰れないでしょ!
また寄り道という、悪い癖が始まっちゃいました。

 行きの道と違って、なだらかなくだり坂です。
右手は住宅街ですが、左手は緑地保存地区の丘陵です。
野生のかわいい花々が、行き先を飾ります。

 菜の花畑に見とれていると、道はさらにワイルドに。
とても東京とは思えないのどかな田園風景。
並んで歩いたらいっぱいの道幅です。
ここが百草旧道と呼ばれる道です。

六地蔵様のお出ましです。

 途中住宅街に出たのですが、またすごい道に入り込みました。
間違っていないようですし、もし間違っていたとしても、町を感じながら歩くことはとても気分が良いです。「いずれローマに続くよ」が猫姉の励まし言葉です。

 間違いかと思われた道の先のくだりに、電車が見えました。
正解だったようです。
ようやく百草駅近くに出ることができました。