沖縄旅行記  其の1

この年の4月、猫姉と、ツアーで沖縄旅行(三日間)に行きました。
二代目にとって、初ツアー旅行、初沖縄の旅でした。

いきなり最初のカットから、その日の早お昼、羽田空港で飛行機の待ち時間に買った、吉兆の穴子弁当です。
ちょっと奮発しました。

最初から食い倒れ旅行の様相を呈しています。
でもやっぱうまかった!

はいさーい。
ついに沖縄入りです。
全国的に天気はよくありませんでしたが、こちらは回復に向かっています。
到着時気温21℃、関東に比べ暖かいですが、すごしやすい気温です。

最初に那覇空港を見てびっくりしました。
民間の飛行場にくっついて自衛隊の基地もあります。
少し行けば米軍基地も出てくるようです。
世界情勢の一端に関わる都市、そんな感じを強く受けました。

今回のツアーでお世話になった、
阪急交通社、ツアコンの宮城クン、
ガイドの玉城サン、ドライバーの
新屋サンです。
みなさん地元沖縄の方。
日本って単一民族じゃないんだな
って改めて感じさせられます。

プロの仕事をこなす中で、快くために
なることを教えていただきました。
また、この方々とご一緒したいものです。

ここからは、ツアー中に見つけた沖縄らしい風景を綴っていきます。
今回のツアーは、沖縄北東部を周るツアーで、しかもかなりの量の観光地を周ります。
分刻みの日程で動くこととなりましたが、これだけ周れる旅行は普通ありませんし、
個人では絶対できないことです。
とはいえ、ここで旅行を順を追って紹介しても、旅のページや観光案内にはかないません。
ですので、風景中心で書いております。

琉球言葉:ガイドさんいわく、母音はあ、い、う、の三音が基本とのこと。
       え、お、はい、う、の変形の音に変化します。
       ’そーれ’という言い方は、標準語で’候(そうろう)’という意味で、語尾につけて尊敬語の役割をします。
       昔はこの’そーれ会話’が基本だったそうです。
       ガイドさんが話す琉球言葉は、とてもやわらく、美しく聴こえます。
       しかし、アメリカの統治時代、琉球言葉は理解できない言葉として、アメリカ人からはスパイ言葉
       として、使用を禁じられたそうです。
       ですので、返還されるまで使用禁止にたったせいで、今ではその言葉で会話することはできなく
       なってしまいました。

さすが、桜の開花が北上するのではなく、南下してくる県です。
空気も違います。
しかし、これほど生態系が違うのかと、改めて驚きました。

空港を出て、バスに乗って、最初に出た大きな通り、そこは空港通り
でした。
ここのセンターラインに街路樹として、タコノキが植えてあったのには
びっくり!です。
ガジュマルやヤシの木が普通に町を彩っているのです。
関東で言う、ケヤキやモクレン、イチョウなんかと同じなんでしょうね。



左は県庁前の並木道です。
前を歩くは猫姉です。

タコノキとはホントに足が蛸のように分岐しています。
左の木なんてかわいいもの。
どれも派手にくねくねしています。
しかし、こんな陸地で根が隆起しなくてもいいのに…。

沖縄の土壌の基本は、赤土のようです。
乾燥して、栄養の少ない土地だからこそ、さとうきびや、むらさきいも作りに
適切なんでしょうね。
近年、赤土が海に流出し、珊瑚の砂浜を侵食してしまっているようです。
そうすると、もずくの養殖は不可能になり、代わりにあおさを養殖しています。

沖縄版、ジュラシックパークになる、ヘゴの木の群生地です。
このぜんまいのお化けのような木は、日本にいることを忘れ
させられました。

上はアダンの木です。
一般的に生えています。
こいつはヤシガニの好物の実がなるかと思いましたが。

青い空に、熱帯の木が似合います。
どの木も、広葉系常緑樹です。もちろん落葉樹も見つけました。
でも、ここで紅葉するのかな?ガイドさんに聞いてみればよかった。

一体何メートルになるのでしょう?
このヘゴも、若芽は食べるそうですが、
山菜そばにしたら、どんぶりはみ出しますよ!
この斑点のような模様になっているのは、木が生長して葉が落ちたところです。
小判の形に似ていることから、ここに触ると何故か三回まで金運が上がって、宝くじにも当たるそうです。

見づらい写真になりましたが、左は胡蝶蘭です。
普通に野外で育っているのは流石です。
このような蘭は、ここには数多く生息しています。
(ただし人間が持ち込んだそうです)

名前が分かる木も、分からない木も、かたっぱしから写真に収めてきました。
ガイドさんに名前をおしえてもらって分かる木のほうが多かったです。
ただ言える事は、本土に同じ木があったとしても、沖縄では大きさも桁違いだし、冬の心配はいらないし、植物の自由さときたら、人間以上ではないでしょうか?

沖縄の県花であるデイゴの花を撮れなかったのは残念でした。
関東でも咲いているので珍しくなくなりました(もちろん冬越し必要です)が、本場も見たかった。
まだ南部でしか咲いていないそうです。

左の青い不思議な花は、ヒスイカズラといいます。
色の神秘さはターコイズそのものです。
実はこれ、以前筑波の植物園の温室で、初めて見たものです。
そのときは、なんて珍しい花なんだって感動しました。
ま、ここに来ると、普通に外で木に絡んで生息しているんですね。

沖縄で感動したのは、何も陸地ばかりではありません。
海の色合いにはホント感動しました。
4月に海開きしたとのことでしたが、まだ海水浴ははじまっていませんでした。
沖縄の海は、珊瑚でできているため、砂の色が白いのが特徴です。
その白さが、海の中で太陽の光を乱反射して、神秘的な色を作り出しています。
それと、太陽の日差しも関東とはちがいます。紫外線は3倍あるそうです!
さすが猫姉、一人だけサングラスと日焼け止め持参です。
五回目のベテランは用意が違います。

小宇利大橋をバックに、宮城クンと猫姉のツーショット。
あまりの陽のまぶしさに、ファインダー覗いていても目が
開きません。

かの有名な万座毛と万座ビ−チです。

二代目、初入水です。
ここは黒潮の流れる海です。
海水の温度は22℃あります。
だから、海の中は暖かいんです。
夕暮れ時でもぜんぜん冷たくありません。

宿泊したホテルの夕日です。
沖縄にいると、どんな写真を撮っても絵になります。


右はホテルの部屋のテラスから撮った海の色です。

ホテルのプライベートビーチを猫姉と散歩しました。
左肩に背負っているのは、ホテルの近くにあった
農産物を扱っているお店のおじさんと仲良くなって
とってもサービスしてもらって買ってきた、たんかん
です。
旬は終わりましたが、味は最高です!
見た目が悪いのは自然栽培の証拠ということで。
いいものを手に入れた後なので、彼女の背中も
心なしか誇らしげ。
頼りがいがあるなー(って違うか)。

これがうまいんだ!→

へ行く

相嶋造園

オチとしてはさびしいですが、
どこかに登場させたかったので…。

このちゅら海水族館というのは、はっきり言ってすごい!です。
左のジンベエザメのでかいのが数匹泳ぐ姿は大迫力。水槽そのものにも驚かされます。

そーいやヤギ食べはぐったな。ちょっとセがあるらしい。

彼女のすごいところは、不測の事態に備えてちゃんと餌付け用食料を確保してあること。

巻末特集!猫姉、沖縄の動物と触れ合う

陽気な沖縄旅行でした。
全てが明るく、開放的で、のどかでした。
しかし、強く光の当たるところには、同じように暗い影ができるものです。
沖縄にとっては、正にそれが米軍基地問題です。
愚かにも、自分などは基地のおかげで雇用や経済効果があるんじゃないか程度の気持ちでいました。
それはよそ者の考えです。
基地を維持するのは我々の税金であることは言うまでもありませんが、沖縄の人々にとって、基地のある場所は
先祖から受け継いだ大事な土地だったのです。
沖縄の人々が、沖縄に基地を望んでいない気持ちと、一刻も早い返還を切に願っていることをここにしたためずには
いられませんでした。

今回、ツアー、添乗員、ガイドさん付きプランは、地元の生の声が聞けることがわかり、大変勉強になりました。
改めて、玉城サン、新屋サン、宮城クンたいへんお世話になりました。
みなさんのおかげで、とても充実した旅になりました。
二代目

そ、そのメイクは違うよね?

こちらは、太鼓と口笛で調子をとるエイサーです。
別に専門に踊っている方でなくても、みなさんうまいです。
特にガイドさんのハイサおじさん(あの志村けんの変なおじさんの元歌です!)はまた聞きたいです。

街中で見つけた、確か浄土真宗の寺院です。
本土とは形も大違いです。
こちらにはお寺がないように思われますが、各町に一軒はあるとのこと。
宗派や宗教がどうという前に、基本に自然崇拝があります。
こちらの墓地は、まさに沖縄独特のものであると同時に、ご先祖様を敬うために、
それが子孫の反映につながるように、計算された家相学で作られています。
それこそ、風水の元祖、隠宅風水です。
みなさん信心深いのですが、それ以上に陽気です。
法事のあとは、皆で唄って踊って終了します。

名物ぶくぶく茶と、ぜんざい。
付け合せの手作りちんすこうもうまかった!

とにかく食べ歩きに事欠かない町です。
特に、こちらでしか食べられないフルーツは、
売っているおばちゃんに切ってもらって食べました。
カニステルってフルーツは、猫姉に任せました。

飾り気はありませんが、市場で食べる食事は、正に地元の台所であり、
沖縄の味の宝庫です。
刺身の近海盛りには、アオブダイ(真っ青な鯛)などこっちでは食べられない
食材もたくさんありました。

国際通りから公設市場へ。
表通りながら、猥雑さを感じる
国際通り周辺は、観光客と市民の
生活が入り混じって不思議な空気を
醸し出しています。
ここだけで一日すごしたいところです。
行き来する人を見ているだけで楽しく
感じました。

首里城のトイレにある手洗い場の、
蛇口もシーサーでした。

那覇市内の案内板や、自動販売機の上にもちゃんといます。
実は、シーサーって様々なデザインがあります。
壷屋焼きの作家さんたちが競ってオリジナルシーサーを作っていました。

かわいいんです。

壁にもシーサーが

やはり石垣が基本になっていますが、屋根の瓦を抑える泥粘土も、本土と違い珊瑚の砂を水で練ったものを使用し、強度を出しています。
石灰分なのだから、セメントと同じですね。

那覇市内の路地を散策していると、屋根にはシーサーが。
狛犬と違って、シーサーは門の前も屋根の上も道端でも守ってくれていて大活躍です。

先の大戦により、地形が変わるほどの爆撃で灰燼に帰した正殿ですが、
琉球大学移設に伴い復元されました。
ですので、こちらは世界遺産に登録されていません!
一部の昔の遺構が残っている部分のみが世界遺産なのです。

まさに万里の長城を思わせる作りです。
この材質は、珊瑚系石灰岩を用いているとのこと。
関東で言う大谷石に近い材質ですが、手触りや硬度は
こちらの方が滑らかで、硬く感じました。
階段はスコール時でも水はけのよいように、結構な傾斜をつけてあります。

首里城というのは、日本というより中国の作りに近い気がします。
距離的にも琉球王朝の方が大陸に近く、実際には板ばさみあっていたのでしょうから、中国色が強くても当たり前でしょう。

意外であったのは、沖縄においては、
水が貴重品だったこと。
これだけ雨が降るのになぜ?
答えは、土壌に保水力がないからです。
其の1で述べたように、土質が赤土なので
水は素通り、珊瑚の砂浜にも残らず海へ。
ですから昔は各家の屋根にプールがあり、
雨水を貯めていたようです。

南国においては、家を建てるための木も貴重品なんでしょうね。
もちろん、台風に負けない強度も必要でしょうし。

だからこそ、自然崇拝の信仰が根付いているのでしょう。
下記の、世界遺産の一部、園比屋武御嶽石門(そのひゃんたきせきもん)は、国王が安全祈願するところです。
しかし、門があるのにその奥には、本土では必ずあるお社がありません。
この門自体が信仰の対象で、しかも裏手の森に神が宿るとして祭られています。
この国においては、自然とご先祖様が神様なのです。