県立関宿城・水辺公園&中ノ島公園
(千葉県野田市)
江戸川のスーパー堤防の上に、平成7年に開館しました。
天守閣部分は、昔の資料を基に再現されています。
城内は博物館となっており、特に治水の歴史について力を入れて展示してあります。
また、特別展もよく催され(別途入場料)ています。
関宿城周辺は、にこにこ水辺公園として、市民の憩いの場所となっております。
同様に、江戸川の中洲にあたる部分には中ノ島公園もあり、ここにも江戸川浚渫工事の名残を見ることもできます。
関宿城の損なところは、これほど歴史ある城で、江戸への重要拠点だった場所のはずなのに、当時の遺構があまり残っておらず、どれも復元ものばかりということです。
実際に関宿城ゆかりのものが他の場所に移築されていたり、城の周辺に跡地が散らばっているせいで、歴史の重みが薄くなっています。
同じように、新しくされた植栽のせいで、関宿城周りには大きい木がありません。
あと10年経てば桜も貫禄出てくるだろうと期待して、今回はこの場を後にしました。
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桜並木の駐車場。
さすがこの時期は表にある大型駐車場もいっぱいです。
目の前に行きながら、一度下り戻って臨時駐車場に移動します。
歩く猫姉の向こうに、隙間のない車の駐車列が見て取れます。
場所柄、他県ナンバーが多いです。
関宿城から下っていく道筋。
江戸時代、関宿は要所とされており、’関宿城を獲ることは、一国を獲るに値する’といわれたほど重要視されていて、城下町も栄えておりました。
平地にある城、とバカにしたものでもなかったのでした。
城に至るまでの道筋には、松を使った街路樹になっています。
庭木の王様を街路樹に使うとは、当時の関宿町、ずいぶん力を入れて作ったのですね。
臨時駐車場から臨む城。
さすがにここはガラガラ。いつもと違う風景にちょっと感動です。
遠くに見えますが、実際にはそれほどでもありません。
同じところに、野田市名物’まめバス’が駐車しています。わずか一回100円で、市内を循環するバスに乗り放題。
普段はここが終点となる場所のようです。
我々は今、千葉県の最北端に来ています。
まさに城の周りの土手は、利根川と、江戸川の分岐点を指しています。
千葉県の花である’菜の花’が一面に咲いている土手を登り、関宿城に近づきます。
土手に上がったところから見た城。天守閣の左下側は、桜の木が満開です!
早く寄りたいところですが、先に城の正面に回って行きます。
以前撮影した関宿城正面です。さすがに今日は混んでいて、写っても頭ばかりでしたので、こちらを使用しています。
入場料は大人200円です。
曇り空のせいで、ちょっと桜が映えません。満開の桜並木はすばらしかったのですが残念。やっぱり生で見ろということでしょうか。
ぐるっと回り込んで、先ほど最初に見た門に戻ってきました。
ここから庭園に入っていきます。
門の中では、あちらこちらで雪柳も満開に咲いていました。
「この時期の見所は桜だけじゃない!」と言われているようです。
こちらは博物館から入ることはできません。
一度外に出られてから、裏手に廻られてください。
桜に見とれつつ、園内を周回。
石組みが見えてきました。
その中で、目立つピンク色を発見。
こちらは満開の枝垂れ桜でした。ここにある木はどれも新しく植えたものばかりなので、木のダイナミックさには欠けますが、その分周りとの調和がよいです。
大き目の石と砂利を使って、枯山水を細長く演出しています。角ばった石が荒々しさを感じさせます。
竹林も下をきれいにしてあるせいか、すっきりしていてコザッパリという印象を持ちます。松もこれからよくなっていくでしょう、と期待。
うぉっ!目の前に遊具出現!と共にキッズ達があふれています。
先ほどのくぐった門の、まさに反対側の門です。
どうやら駐車場に止まっていた車の持ち主の大半は、こちらの広場でくつろいでいるようです。
何せ土手沿いなので、広場は遠くまであるわけですからね。
広場の桜の下で、思い思いに休日を満喫する人たち。
ん?な、なぜパンダもくつろいでしるのでしょう?
良く見ると、パンダ以外にも色々な動物のオブジェがありました。
ちなみにまだまだいます。
後はご自分の目で確かめてみましょう。
しかし、ここのオブジェは皆リアルタイプですね。
ここからは関宿城の敷地を離れます。
駐車場の向かいにある橋を渡って、江戸川の中洲に位置する、中ノ島公園に向かいます。
意外と歩くといい運動になる橋です。
何より車が走れない橋は気持ちが良いですね。
一休さん気分で、皆でど真ん中を歩きましょう!
渡った先にある、中ノ島公園の案内図。
こちらには、江戸川の浚渫工事にまつわる遺構や遺物が多く残されています。この看板にはそれらのことが詳しく書かれています。
中州は、野田市とお隣の町とのどちらにもまたがっている場所です。
川は人を分かたず命を運ぶ大切なものと実感します。
何故か水門付近でカヌー部が練習中。
なかなか良い急流を見つけたものです。
この辺にはゆるやかな川しかありませんからね。
この水門が、実質江戸川の始まりでしょう。
この江戸川をはさむ様に、千葉県、埼玉県、茨城県が隣接している地域です。
何でもその起点を見ることは、感慨深いものがありますね。
江戸川は400年ほど前までは太井川(ふといがわ)と呼ばれ、渡良瀬川の水を東京湾へと運んでいました。当時、利根川は太井川の西側、つまり今と反対の位置をを流れていたのです。 その姿が現在のように変わるのは、徳川家康が江戸に移封された近世初期以降のこと。 江戸幕府はさまざまな河川工事を行いましたが、なかでも最大のものが文禄3年(1594)から始まった利根川の流れを江戸の東側に振り向ける「利根川東遷」と呼ばれる大工事でした。 もともと利根川は、洪水することで有名な川で、住民を悩ませていたのです。 60年におよぶ工事の末に利根川は、渡良瀬川、鬼怒川などの水を集めて銚子で太平洋に注ぐようになったのです。現在の江戸川の流れもこの工事に伴って誕生しました。 ちなみに、付近を流れる中川は、今も残る古利根川や元荒川などの支川名からもわかるように、利根川東遷以前は利根川や荒川の本流でした。その後、明治以降の河川改修計画により、江戸川と荒川に囲まれた地域の農業用水路として整備され、さらに新中川の開削、荒川放水路建設を経て、現在の姿になりました。 綾瀬川も江戸時代以前は荒川の水を流す大河だったと思われますが、江戸幕府成立前後に荒川から分離され、以来農業用水路としての役割を担ってきました。 現在でも、治水工事は続いています。 近代技術を用い、国道16号線の地下に首都圏外郭放水路を建設しております。進化はまだ終わりません。 |
江戸川の歴史
ここでも桜がきれいに咲いています。風が出てきて、実際には舞い散る桜吹雪がまた良かったです。
正面左手には、昔の橋梁が見えています。
関宿城に行ったことない人でも知っている、関東最大と言われるコブシの木です。
誤解のないように記しますが、ここはお隣茨城県五霞町に位置します。
写真で見るように、関宿城とは場所がちょっと違いますので注意しましょう。
最近、身近に頼りになる樹木医の先輩(年は下でもキャリアは差がありすぎなので)ができました。
彼が診断したわけではありませんが、我々をさらに専門化した職業だけに説得力があるお言葉が看板に書かれていますね。以前は柵がなかったはずですが、読むと納得。
コブシに限らず、こちらの木は何故かどれも大きいです。
ケヤキの大木は均等に広がった枝が気持ちよいです。
タギョウショウ(松)やヒバ類も人の背より小さい木がありません。
人が縮んだような不思議な空間です。
水門の向こう岸にも広がる菜の花の絨毯。
誘われて歩き出したら、そのままどこまでも遠くに行けそうな気分になります。
おっ、やっぱりいましたね。
机を並べ、本格的(?)宴会をしているグループ発見。
これほど貸切でできる場所はそうありませんよね。
今日の自分は、’団子より花’です。心の中では、まじめにレポートした後のお酒はうまい、と思いつつ。
モミジの新芽と花に見とれてながら次に写した、ニワトコのつぼみを見てびっくり!
すでに緑色の茎の部分に、アブラムシがびっしり。
今年は虫の発生量が多いでしょう。すでに今から予防が必要になっているようです。
皆さんもご注意ください。
関宿城に戻る橋の上から見た、浚渫工事に使われた浚渫船。今は動かないのでしょうか?
以前、そこにスズメバチの巣がありました。
どこかに看板も出ていたはずですが、なるべく用心して船に近づきましょう。
食堂にある、ケヤキの大木を見送り、再び菜の花に埋まりに歩き出します。独特の、菜の花のむせ返る香りに鼻をひくひくさせながら、桜を見上げながらの忙しい道です。
最後に駐車場脇にある鬼門除け稲荷にお参りして帰ることに。
と、その前に黒猫との邂逅中の猫姉。
化かしあいの軍配はどちらに?
おまけ;
茨城川の利根川土手沿いに続く桜並木。遠くに関宿城を臨みます。