旧古河庭園 (東京都北区)

この土地はもともと陸奥宗光の別邸でしたが、宗光の次男が古河財閥の養子になったとき、古河家の所有になりました。
この地特有の斜面を利用して作られており、小高い丘には洋館を建て、斜面にはバラ園を基調にした洋風庭園を、下った低い所に日本庭園を作っています。
現在の洋館と、洋風庭園は、英国人建築家ジョサイア・コンドル氏。
鹿鳴館やニコライ堂を手掛けた日本近代建築史に名を残す有名な方です。
日本庭園の作庭家は、この世界では知らぬ者のいない、そして自分の尊敬する京都の’植治’こと小川治兵衛氏です。
平成18年に、国の名勝にしてされました。

今まで紹介してきた都内の庭園は、知らない人がいない有名な庭園でした。
自分は旧古河庭園もその一つだと思っていたのですが、意外とそうでもなかったようです。
植木仲間からも、「別にそこはいいや」って言われるし、「六義園には行っても、あそこは行かない。そんなに好きじゃないから。歩くにも大変だし。」なんて言葉も返されています。
確かに、ここは迫力には欠けるかもしれません。
灯篭は派手ですが、それほど全体が雄大に見える作りをしていませんし、斜面の上り下りはしんどいものもあります。
しかしその分、技巧的には凝縮しているとも考えられます。
それは、大正という、現代に近い時代に作られた庭園だからでしょうか?それまでの歴史を考察した中に、現代風のアレンジや風を入れ込み、それまでなかった庭造りをしているのです。
都内に残る有名庭園が、江戸時代に作られたものばかりの中で、この庭園も歴史に残したい時代の作品だと思っているのですが。

へ行く

相嶋造園

 仕事を始めたころ、自分が関東で感銘を受けた庭が、こちらの旧古河庭園です。
これほど洋のものと和のものをとり合わせた庭園は、他ではなかなかお目にかかれないと思います。
しかも、コンドルも、植治もこれほどのビックネームの取り合わせは、歴史に残らないはずがありません。
花好きも、庭好きもどちらも楽しめる庭園です。

 六義園に来たら一緒に立ち寄るのが、こちら旧古河庭園です。六義園から歩いて約20分の距離にありますが、長い登り坂を歩いてくると、結構しんどい。
…え、歳のせい?

 受付を過ぎると、まず見えてくるのは洋館です。大正時代といいうことは、馬車が主流だったのでしょう。幅広の道、敷き詰められた砂利、江戸時代の庭園とはまた違う雰囲気です。

 あこがれの洋館は、英国貴族の邸宅にならった古典様式。
天然スレートぶきレンガ造りです。外壁は真鶴産の赤味をおびた新小松石。豪華な外観です。
ちなみに、内部を見学たい場合は、往復はがきによる事前申し込みが必要です。

 洋館の横を通って、主庭に向かいます。
左手にはすでにバラ園が広がりはじめ、バラの奥に広い芝生があります。

 手前から見るとあまり広そうに見えませんけど、意外と広い芝生があります。道の横には唯一の売店もあります。
周りを完全に包み隠すヒマラヤスギの大木が、美しい円錐形をしています。

 建物の正面に回り込むと、バラの洋風庭園が現れます。

 正面から見る洋館。…美しい。言葉が出ません。
左は手すりにからまるモッコウバラ。

 幾何学模様の洋風庭園は、やはり洋館に合います。
 残念と言えば、バラの開花時期に行けなかったこと。次は必ず時期に来ます!

 バラ園の下方にはツツジ園もあります。
玉に作られた大小ツツジが、一面に多数植えられています。
きちっとした幾何学の下に、雑然と玉ものが乱立しているのも、ギャップがあっていいかも。

 上記のあずま屋は、洋館とほぼ同じ高さに建てられており、展望台として眼下に広がる日本庭園を見ることができます。と言っても、緑が生い茂りこの季節では見通せるほどはみえませんが、しかし色々な形の葉が折り重なって見えるのも悪くない眺めです。

 それでは日本庭園まで下りて行きましょう。
あずま屋のよこから伸びる急な園路道をどんどん下っていきます。

彼岸花が咲き始めたようです。

 実際に日本庭園に続く道は幾通りもあり、どの方向からも庭園に入れるようになっています。どこに出るかは道次第ですが。

 下りきる寸前の斜面に積まれた、ボク石の石積み。富士山の黒ボクが使われています。看板にもありますが、石垣状に作られているのは珍しいと思います。
 自分が思うに、これが富士のすそ野のボク石のあり様を再現したものではないかと。

 池を取り巻くように、園路が続きます。ここでは左回りに池を一周するルートで案内していきます。
木陰の苔がとてもきれいです。家でもこうできるとよいのですが。

 歩きだしてすぐ遭遇する灯篭。この庭はとにかくすばらしい燈篭がいたるところに配置されています。この’奥の院型’が降りてきて最初に見ることが多い燈篭です。
 先ほどのあずま屋が頭上に見えます。

 高級そうな石も、灯篭のそばにありました。

 園路の先に池が見えてきました。’心字池’です。「心」という字に似せて池を作ることです。
これは造園技法としては基本であり、どの庭園でも無意識にこの形を連想します。

 庭園の様式的に言うと、階段状に作るイタリア式と、幾何学模様を描き出すフランス式のいいとこどり。スペースを最大限に生かしながら、ゆっくり歩いて見られます。薔薇の品種の様々植え込んでいるので、お気に入りを探すのもいいですね。

 園路の先左手には、急な斜面を利用した滝があります。
小川治兵衛氏も力を注いだ箇所というだけあって、落差を利用したすばらしい滝です。
残念ながら、今回写真がありません!自分でもわからないのですが、すっぽり滝の部分の写真が抜け落ちています。申し訳ありませんが、次回別の場所にてこの滝のご報告をいたします。

 池の奥には、この庭園で一番感動した’崩し積み’の石垣があります。信じられないことに、倒れたら人が押しつぶされそうな石が、傾いた状態で積まれているのです。まさに崩れる寸前を捕らえた写真のようです。もちろんこれは高度な技法により、しっかり固定されているので崩れることはありません。しかもセメントなど繋ぎを使うことなくこれを仕上げるのです!今の自分には脱帽の技術です。

 この崩し積みこそ、修行をはじめたころ感動した技術です。いつかこれを凌ぐような大作を作ってやるぞ!と意気込み、先へ進みます。本来なら池を一周するのですが、ちょっと寄り道して、登り坂の上の建物も見てみましょう。
崩し積みの石垣を右に見ながら、園路を進みます。

 坂道沿いにある茶室。木々の緑の中にあり、全体像が写せないほど。
 時期によってはお茶を振舞ってくれることもあります。

 さらに茶室の先から石質が変わり、川石のような丸いタイプのもの大小をうまく階段状に並べています。両側のうっそうとしたハランが高原のイメージにも見受けられます。

 さらに先には石の門柱のようになった、出口があります。
これを登りきると、先には洋館わきの芝生の東側に出ます。

 坂道の上には、石造りの書庫があります。しっかりした作りの、時代を感じさせる建造物です。これを書庫にするのはもったいないですが、中にはとんでもないものが眠っていたりして。

 茶室を囲むように存在する、渓谷のわきの道を本線に戻るように歩きます。
 すると、本線に合流した目の前に、園内最大の奥の院型灯篭がそびえています。
広い庭園に負けない存在感があります。

 池の周囲には、このような全体を見渡せる休憩場所の多くあります。
 上記写真は、池からつながる水路を渡る、一枚岩の橋。

 小川のような水路沿いを進むと、染井門に突き当ります。今は裏門となっていますが、もともとはここが表門だったようで、ここから洋館に向かって広い馬車道が外周を走っています。

 池を見下ろす見晴らし台。と言っても木が邪魔で見晴らすのは無理でしたけど。その近くにある、十五層石塔(傘ははずしてあります)と濡鷺灯篭。

 こちらも随一の大きさの雪見灯籠。対岸から見ても、迫力が伝わります。

 こちらは枯滝。大きなせり立った青石が滝の流れを、小さな玉石が水の流れを表しています。そう言われると、水の流れが見えてきませんか?
右写真は上から見た枯滝です。

 池の周りは、石を巧みに使った技がふんだんに見られます。変化をつけて、見る者を飽きさせないようにしています。
汀も乱杭や、石による護岸など急に模様が変わり、ここが大海なのか、渓谷の湖なのか錯覚を起こすような作りに感じます。

こちらはまさに渓谷を作ってしまっています。ちょうど池を一周したところです。

 一周すると、ちょうど雪見灯籠の先から、中島を渡ってくる園路とぶつかります。色々な道筋を行ったり来たり。

 洋館へと上って行く馬車道沿いに、日本庭園に入る兜門と呼ばれる入口が存在しています。
 また、ここをくぐると、真正面から洋館を見ることのできるベストポイントにも近い位置になっています。

 実はこの日、洋館は貸し切りで、結婚式の披露宴が行われていたのです。自分も近かったら使ってみたいところでした。
ま、我々の式の日は大荒れだったことを思えば、ここを使わなくてよかったのかな。

 撮っても撮っても追いつかない景色や、ポイントがあります。これはこの庭園に限ったことではありませんが、枚数だけなら1度に300枚から1000枚くらい撮影しています。