旧安田庭園
 (東京都墨田区)巻末付録;横綱町公園

旧安田庭園は、江戸時代・元禄4年(1691)、下野足利藩主本庄氏の下屋敷として作られたのが始まりです。
その後、安政年間に、隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備されました。
明治22年(1889)、安田財閥の祖、安田善次郎氏の所有に移り、
大正11年(1922)、彼の遺志に基づき東京市に寄贈されました。
翌年の関東大震災では壊滅状態になったそうですが、復元され、昭和2年市民の庭園として開園。
現在は墨田区の管理になっています。


小さい庭園ではありますが、それを凝縮された世界と思えれば、十分楽しめる空間です。
実際よく探すと、両国辺りは他にも見所があります。
散策がてら駅周辺をぐるぐる回ってみても楽しめます。
この庭園には多くの憩いを求める常連さんらしき人たちもいました。
そういう愛される庭園ってやっぱりあるといいですね。公園ではなく、庭園というのがいいですね。

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相嶋造園

 両国駅を降り、国技館の正面を通りすぎた先の角にあります。
立地的には悪くない場所ですが、なかなかこのために来るところとは考えていませんでした。
相撲以外で下りることって、あまり機会のない場所ですからね。自分も食事以外で来たのは初めてです。
 ですから今回のレポートで、皆さんにどう思われるかちょっと興味があります。
途中下車してみたい、と思わせる内容になったらいいのですが。

 隅田川の水上バスの駅を左手に、その先の信号の角に見えてきます。すぐ民家が隣接しているし、ここか?という印象を与えかねない入口。

 久々案内図がきれいに収まりました。
逆を言えば、それだけコンパクトな庭園というところです。
 きっと園内一周しようと思ったら、5分で足りますよ。そのせいでもないでしょうが、入場料もただ!うれしいです。
 案内図、右上の角が別の出入り口で、巻末付録でご紹介する横綱町公園です。見てわかる通り、中央にある心字池を周回するイメージの庭です。
 さて、庭園の実力はいかほどか、早速案内いたしましょう。

 門から伸びる心字池に向かう園路。真っすぐ入りつつ、最後にゆるやかにカーブして、全体を見せないところが憎い演出ですね。
 そのカーブしたところから、真正面にスカイツリーが見えるのも、偶然にしてはできた演出です。
 左下の写真が、まさにその場面なのですが、ピントがきれいに合いませんでした。

 また巨大な灯篭が池の手前にありました。3m以上ある上に、横のボリューム感も半端じゃないです。この大きさはあまり見かけません。その下周りの苔むした石など落ち着きがあります。

 心字池が見えてきました。
紅葉の終盤だけあって、多く方がカメラ持って歩いています。
みんな大型のカメラで撮影中。
どんな写真に写っているのか興味があります。
 この池を左回りに一周してみたいと思います。こういう庭園って順路があるのか、たまに考えてしまいます。

 左に回りだしてすぐ、石橋が出現し、その左手奥に庭園の肝とも言える水門が出現です。まだ庭園の風景をお伝えしていないのですが、先に水門の説明をいたしましょう。

潮入りの水門跡;かつては隅田川の水を取り入れ、隅田川の干満を利用し、眺めの変化を鑑賞する庭園でした。 このような潮入の池をもつ庭園として他に、掲載した浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園があります。 しかし、隅田川のよごれが園に及ぶようになったためや、堤防補強ため水門は閉じられてしまいました。 現在は、園北側の地下貯水槽(貯水量約800トン)を利用し、ポンプにて人工的に潮入が再現されています。

 水門跡付近から見た心字池。
黄色や赤の紅葉、水面に揺れるビルの姿、自然と文明の融合のような景色です。
 雪見灯籠につながる石段が、水面からかろうじて顔を出しています。干潮、満潮で出方が変わるのでしょう。

 しかし半端じゃない大きさの雪見灯篭です。自分が見た中で最大級です。雪見の窓から、風景を切り取ってみました。なかなか風情ありますね。

 池に浮かぶ中島。松が植えられています。庭園内唯一の島です。そこを強調すると灯篭の窓写真になります。

 潮入り茶屋跡。石碑も残っています。
 他の庭園から比べると、ここは起伏の少ない平坦なイメージ。茶屋ももう少し高いか、池沿いがいいかな。

 庭園の一角にある両国公会堂。安田財閥の寄付により大正15年に建設されました。
円形ホールを持つ、小劇場でもあります。現在は老朽化により仕様を停止されているとのこと。大正時代に感じない外観です。
 公会堂をバックにモミジやイチョウの紅葉が美しいです。時間があれば建物を正面から見に行きたかったです。ソテツなど他の樹木もいい雰囲気でした。

 公会堂前からみる心字池は絶好のビューポイント。国技館をバックに朱色の橋の周りに紅葉が映えます。

 沢渡りの石段が、池を囲むように続いています。干潮のときだけ歩ける園路となると思われます。
対岸の灯篭付近も、満潮時にはところどころ石が顔を出しているような違う表情になるのでしょう。潮入りの池の特徴をよく表した庭園ですね。

 両国国技館側の入り口の対角にあるのが、この先横綱町公園側の入り口です。休憩所のような施設もありました。それほど見所はありませんが…。

 水門から一番遠い池の隅。水の落としになっているのかな?橋の欄干のような、手水鉢のような不思議な石柱があります。

 池からぎりぎりの芝の上に寝転んで本を読む達人がおります。他のHPでも御見かけしました。常連さん?

 心字池の中央部につながる石橋。長さが思ったよりあります。
 落ちる人はいないと思いますが、お子さんは注意が必要です。この日も休日で子供たちが走っていましたね。

 石橋の渡った先に待つ風景です。
磯や、深山のイメージをコンパクトに凝縮した庭園の面白さが伝わってきます。

 朱塗りの橋に向かう前に一度池から離れた道を進みたいと思います。上記の石などとても味がありますね。

 逆光にめげずに撮影したイチョウ。この裏手はイチョウの大木の列植があります。

 園内のイチョウで一番目の引く樹木。狭い園内では十分に鑑賞しきれないのが残念ですが。根元には’至誠勤倹’と書かれた碑が立ちます。安田氏のモットーというところでしょうか。

 駒止石と駒止井戸。云われが看板に書かれております。

こちらは駒止稲荷。
 徳川家光の時代、秋の台風に見舞われた隅田川が氾濫し、大洪水になったそうです。
 被害状況を調べさせたい家光でしたが、あまりの濁流に皆は尻ごみしたそうです。そのとき進み出たのが旗本阿部豊後守。彼が見事濁流を乗り切り、休息のために馬をつないだのがこの石であり、それを称えて建てられたのが駒止稲荷ということです。

 再び本線に戻りましょう。園内で一番紅葉のきれいなポイントにはいりました。

 コンクリートの塗りものの橋ということで、いまいちカッコがつきませんが、朱色に紅葉は似合いますね。

 単に紅葉だけではなく、石や汀の造作もダイナミックで好きです。

 池の水は思いのほか澄んでいます。かつての隅田川より、今の隅田川の方が澄んでいるとも思います。それでもここまでの透明感は無理でしょう。小さい池だからこそきれいさも大切な要素です。

巻末付録;横綱町公園

 この公園は、関東大震災と、第二次世界大戦の犠牲者を供養したメモリアルパークになっております。
歴史と平和を訴えるこの公園は、いつか掲載せねばならない場所と思っておりました。

 旧安田庭園の、横綱町公園出入り口から公園に入ってきたところです。道路際のハゼの木の紅葉が美しいです。

 黄色いイチョウ並木が見えます。あちらが公園の正面になります。慰霊堂を回りながら公園を紹介したいと思います。

 紅葉のきれいな日本庭園が現れました。流れが、先の池から続いているようです。

 旧安田庭園から入ってくると、先ず目の前に現れる三重塔。慰霊堂の一部です。ここには関東大震災による遭難死者約58000人の遺骨を納められています。
 震災の避難場所として逃げ込んだ公園が仇となり、火災による被害によりこの場所だけで38000人が犠牲になったそうです。想像できませんが、遺体はこの場で荼毘に付され、遺骨で3mもの山ができたほどだったそうです。

 右写真は、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑です。2001年に作られた比較的新しいもの。
 模様に見えるところは本物の草花が植えられています。きっと時期によって内容が変わるんでしょう。

 正面から見た慰霊堂です。
 関東大震災の発生した9月1日と東京大空襲の3月10日に法要が営まれているそうです。

 正面の入口から左手にあるイチョウ並木が美しいです。ここが悲惨な地であった面影はまったくありません。
それでも我々は過去を忘れることはしてはいけません。
誰もが道を間違え、その道を改めて成長していくしかない人類ですから。

 こちら幽冥鐘という鐘。震災被害の追討に、中国仏教界から送られたものだそうです。今回撮りはぐりましたが、朝鮮人犠牲者のための碑もあります。ここは人種を越え、アジアの平和を祈る公園でもあるのかもしれません。

 右は東京都復興記念館です。
 内部には第二次世界大戦に関する資料もあり、屋外には関東大震災で被災した物を展示しています。

時間に追われるようにして通りすぎた横綱町公園でしたが、自分の思っていた以上に重みのある公園でした。
両国とは角界のイメージの強い街ですが、こういう歴史の生き証人と言える遺産も残るのです。
現在、地球規模で起こっている自然災害や、紛争は、地球そのものを壊そうとしています。
日本だけではなく、世界全体が手を取り合える日が来るように努力しなければいけません。