三渓園 (横浜市中区本牧)
三渓園は、生糸貿易により財をなした実業家、原三渓氏によって明治30年代に造成、公開されました。
ここは普通の庭園とは違い、建物がメインになる庭園です。
京都や鎌倉から移築された重要文化財にあたる建築物や、古民家がこの地に保存されています。
この園内に先ず自宅をかまえ、その周囲に建築物を移築、同時に造園をしていきます。
この方のすごいところは、これらを独り占めにするのではなく、無料で開放していたこと。
また、横山大観をはじめとする芸術家を支援、育成しましたが、自分で集めた美術品をこれまた無償で見せていたのです。
関東大震災の後は、横浜市の復興のために私財を投げ打って貢献したことも忘れてはなりません。
三渓園は、昭和になるまで造成が続き、今の姿で落ち着いたようです。
*今回は、重要文化財「臨春閣」、横浜市有形文化財「白雲亭」「鶴翔閣」の内部が特別一般公開する
のに合わせて行きました。
入り口をくぐると、目の前に「大池」がドン!と広がります。遠くに見える三重塔の天辺がこれから半日かけて歩くことになる園内を象徴しています。
個人の庭園で、これほどの大きさの施設は、自分には記憶にありません。圧倒されます。
池のそばを歩くと、古い船で、鴨がくつろいでいました。
園路の池の反対側には、ハス園が広がっています。
三渓氏は、ハスや水連が好きだったそうで、細長く広いスペースをとって植えられていました。
三渓氏は、自分でも絵を描く方で、奥の資料館にはご自身で描かれたハスの掛け軸が多くありました。
順路に沿って進むとまず見えてくる「鶴翔閣」です。
他の方のHPで、ここの唯一の欠点は、木が多くて建物の写真がうまく撮れない、とありました。
確かにおっしゃる通り。
上空から見た形が、鶴が飛んでいる姿を連想させるところから、その名がついたそうです。
ここは、有料で貸し出しもしていて、茶会や演奏会に利用されています。
ここに集った方々の名前を書くとすごいです。
伊藤博文、大隈重信、島崎藤村、夏目漱石、横山大観、下村観山、など誰でも名前の知らない人がいない方々ばかり。
塀で囲まれた園路を奥に進んでくると、
門の奥に建物の入り口が見えます。
三渓氏が、亡くなるまで約20年間過ごした「白雲亭」です。
大きさは大して広くはありませんが、センスのよさを感じる建物です。
拵えの豪華さもさることながら、
調度品の質や、細工にも感動
します。
建物に隣接する、煉瓦つくりの倉庫。
関東大震災でも、びくともしなかったそうです。
その地下には、ワインセラーもあり、地面に明かり取りがありました。
ここ大正時代に建てられたのに、もう温水用の蛇口やシャワーがあるんです!
我が家は、平成12年まで五右衛門風呂に入っていたのに!
(それもすごいかも)
また、電話室なんていうのも完備していたそうです。
建物を出て、そのまま奥に進むと、「臨春閣」の入り口にあたります。
この建物は、紀伊徳川家の初代頼宣が夏の別荘として使っていたものを、移築したそうです。
この建物で、一番の見所は、狩野派によって描かれた襖絵と、趣向を凝らした欄間です。
ここで解説を書くより、直接見ていただきたい逸品ですので、あえて解説は控えます。
臨春閣全貌。
手前に池がありますが、基礎は池の中‥
しっかりした造りだからこそ可能なんですね。
臨春閣を、上記写真の右側から奥に順路に従い進むと、左の建物の突き当たりで外に出るようになります。
実は、白壁伝いに白雲亭にはいってから、こちらの臨春閣を経由して、裏山を散策して、そこにある自然と移築された建物を見て、入り口に戻る道順を、内苑としています。
ちなみに、この内苑と呼ばれるエリアを回るだけでも、一庭園を回るのと同じか、それ以上のボリュームがあります。(室内の見学もありましたし)
内苑内の建造物と自然
重要文化財
「月華殿」
重要文化財
「天授院」
重要文化財「聴秋閣」
←「蓮華院」
写真なしですが、もう一つ重要文化財「旧天瑞寺寿塔覆堂」があります。
内苑隅にある、「南門」です。
外は外苑と呼ばれ、左に行けば園内を散策でき、右に行けば本牧市民公園につながります。
鶴翔閣、内苑をざっと紹介して、園内敷地の半分を終了しました。
すごいですよね!ここまでで半分ですよ!今までの凸凹ならすでに終了している量です。
というわけで、のんびりしていると終わりません!
外苑は、重要文化財と、園内の自然をテーマに掲載します。
ぜひ、伝えきれない三渓園のすばらしさは、ご自分で確かめてください。
季節ごとイベントもあるので、チェックしてから訪れると、楽しさが広がりますよ。
大池のほとりで鯉と戯れ、近くの茶屋でお昼をとって、一番近くの建物に向かうため歩き出した途端、道が変わりました。ハイキングです。険しい階段、昼でも暗い坂道を登ってついた先は‥‥
入り口を入ったときに、池の遠方、小高い丘に見えていた
重要文化財「旧燈明寺三重塔」です。
室町時代に建立されたそうです。
また暗い道を歩いていくと、文化財ではありませんが、
記念すべき建物が出てきます。
それが、下写真の、「松風閣」です。今は展望台となり、その名が残されています。
三渓氏の養祖父、原善三郎氏がこの地を買い求め、建てたものです。
まさに、原家の礎的建物ではないでしょうか。
残念ながら、元の建物は関東大震災で倒壊しました。
埋め立て前は、すぐ下まで海がきていたようです。
梅園です。小川や滝があり、涼を取らせてもらいました。
猫姉が見ているのは、「臥龍梅」だそうです。
垂れ下がった枝を、支柱で何箇所も抑えている姿を、龍に例えました。
梅林の奥に最初に見えてくるのは、重要文化財「旧東慶寺仏殿」
です。
江戸時代初期の建物で、鎌倉の東慶寺にあった仏殿だそうです。
次に出てくるのは、重要文化財「旧矢箆原(やのはら)家住宅」です。
白川郷にあった有名な合掌造りの建物ですが、かなりの豪農の家のようで、大きさ、しっかりした造り、凝った造作はなかなかお目にかかれないでしょう。
今でも囲炉裏で火を焚き、家内を燻して保存しています。
この建物は、ダム建設で水の中に沈む運命だったものを、はるばる横浜まで移築しました。
そのままの移築なので、下写真のものも、もちろんそのまま。
残念ながら使用不可です。
最後になりました。
重要文化財「旧燈明寺本堂」です。
5年がかりでこの地に移築されたそうです。
三渓園の驚くところは、例えばこの本堂なども、イベント用に
室内を貸し出すこと(有料ですが格安!)。
園内のほとんどの建築物をレンタルできるんです!
この発想も、三渓氏の意思が受け継がれていると感じます。
ここには、季節ごとに色んな顔を楽しむことのできる
自然を造形されています。
園内が一つの部落のように思えました。
限られたスペースの作庭とは違う、もっと直接自然を感じることのできる園です。
昔のお金持ちは、儲けを独り占めにせず、人のために役立てることをしていたと思います。
金持ちの義務に、社会奉仕という考えが、無意識にあったのではないでしょうか?
それは他の観光地で、地域の偉人や篤志家の足跡を見ても感じることです。
三渓園では、その精神を今でも感じることができます。
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