旧芝離宮恩賜庭園 (東京都港区)
広さ43,175uを誇るこちらの庭園は、明暦(1655〜1658年)の頃に海面を埋め立てた土地を、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領しました。忠朝は屋敷を建てるにあたり、藩地の小田原から庭師を呼び庭園を造ったと言われています。庭園は「楽壽園」と呼ばれていました。
その後、幕末頃には紀州徳川家の芝御屋敷となりました。さらに明治4年には有栖川宮家の所有となり、同8年に宮内省が買上げ、翌9年に芝離宮となりました。
大正13年1月には、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市に下賜され、園地の復旧と整備を施し、同年4月に一般公開しました。
昭和54年6月には、文化財保護法による国の「名勝」に指定されました。
江戸時代の文化の進化は、庭園だけ見ても世界に負けていません。
他国の文化を学びながらも、単に真似るのではなく、自分のものとして昇華する心意気があります。
それには鎖国と言う制度が、いい方向に働いたのかもしれません。
時代時代ですばらしいは各地に多数ありますが、規模だけ見れば江戸時代の大名庭園が一番広いでしょう。のんびりと時間をかけて園内を歩いてみるのもいいですよ。
まさに新たな発想も生まれるかもしれません。
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本当は、名庭をゆくで真っ先に取り上げたかった庭園です。
何せ、サラリーマン時代の丸4年間、会社のある浜松町駅に毎日のように降り立っていたわけですから。
そして、駅のすぐそばにある旧芝離宮を横目に歩いていたり、電車から見下ろしていたのです。
そう書くと、とても思い入れのある庭園のように感じますが、恥ずかしながらその当時、一度も入園したことがありませんでした。
関心がなかったわけではありません。今になってあのころ何故、あちこちの庭園に行かなかったのか?今は大変後悔もしています。一言で言うなら、’気持に余裕がなかった’からでしょう。
人生、時には立ち止まって改めて周囲を見回して見ると、見えないものが見えてくることもありますね。旧芝離宮にそういう思いを込めて、満を持してここに掲載いたします。
庭園の中心にある池。元は浜離宮と同く海水を引き込む’潮入りの池’でした。
対岸には桜の山がありますね。ここからでもきれいです。
珍しいですね。汀の護岸に黒ボク石を使っています。浜離宮もそうなのですが、江戸の流行りだったのでしょうか?ゆかりのある小田原の地を馳せているのでしょうか?
庭越しに見える白い建物は、弓道場です。有料ですが借りられます。
弓道場や、馬場など、江戸時代の庭園の多くは、庭を単なる鑑賞の場とはしていませんでした。なぜなら、所有者は大名であり、武士ですから。
大名にとって庭園とは、単なる趣味の世界だけではありません。ここは接待の場なのです。将軍を招き、他の大名と会う。もしここで将軍がへそを曲げたら大変です。そのために芸術性と、知性、そして修練の場を備えた空間を演出する必要がありました。
さらに言えば、当時の江戸は、徳川幕府ができるまでは、ド田舎!だったわけです。この時代まだ江戸に多く残る自然や地形を利用した庭を作ることは、大名たちにとって特別なことではなかったのかもしれません。
汀から見る池の様子は、都心部の庭園の中で一番だと思います。池に突き出した灯篭や、周囲の石組など、視線を遮らせずに変化を楽しめるところが好きです。モノレールが来ました。あ、鳩も飛んで来ましたね。
ここから海水を取り入れていた水門です。
石垣や、水門は使用当時の名残だそうです。
この水門からすると、今ではさらに海が遠くなりました。
見事な造形としか言えない景色です。満開の桜の中、しばし見とれてしまいます。
海水を取り入れた池のときは、干満の差によって、池の中に島が見えたり隠れたりしたそうです。現在は淡水ですからそういう変化はなくなりましたが。
カメは安心して甲羅干しをしていますよ。
ここは池の周囲の木々もすばらしい所です。今では狭い敷地になってしまっているので、他の庭園のような鬱蒼とした林はありません。しかし、単木であっても負けていない太さの木もあります。
橋を渡り、中島に向かいます。まっすぐでなくクランクになっている木製の橋が、とても優雅です。
中島は、遠く海の果てにあるという仙人の住む蓬莱山を表しているそうです。
日本庭園にある池の中の島は、ほとんどはこの蓬莱山を表現しています。神仙思想の一部なわけですが、縁起を担ぐことや知性を感じさせるところは、ここが単なる鑑賞にとどまらない空間であることを実感させられます。見る方にも、それなりの知性や教養を必要とさせるのですから。
そういう精神世界がここまで日本の庭園を発展させたのでしょう。
江戸時代に庭園によく取り入れられた、西湖堤。小石川後楽園のページでもお伝えしましたが、中国の西湖にある堤を真似たものだそうです。
当時の中国は、流行の最先端と言ったところだったのでしょう。日本庭園にこぞって取り入れたようです。
最初に入口付近から見えた桜の林に出ました。庭園の入口から一番奥の池沿いです。こいうところはお花見スポットには登場しませんが、実は穴場ですよ。
ホント美しい樹木が多いです。
左はアカメカシワ。池に覆いかぶさっているようですね。
上は唐津山。石組の多様性は、樹木を引き立てます。桜の柔らかい花にベストマッチ。
石橋を渡ると大島に入ります。
椎の木の大木の木陰でのんびり対岸の桜を眺めていると、時間を忘れます。こういうところでワイン飲みながら飲んで花見なんていいなあ。
’鯉橋’を渡ります。石の形が鯉に似ているからでしょう。
橋の下は、まさに渓流のイメージ。細い流れに切り立った崖の上からしだれる桜が里の春を感じさせます。
’根府川山’と書いてあります。小田原市の根府川から産出される石です。溶岩石である安山岩です。上記の鯉石もこの石です。
しばし池を離れて、桜並木の裏手に回って歩きます。丘があったり素敵な自然を再現しています。桜越しにモノレールが見えるのは都心ならではですが。
右写真はカイドウ。中国では古く牡丹と並び称されて人気の高い花で、美人を表す言葉でもありました。桜より一般家庭向きのお勧め樹木です。
一番高く盛られているのが、大山。見晴らし台といったところ。早速登りました。途中斜面に支えあう傾いた石を発見。意味深な作りに思えません?
う〜ん、確かに絶景ですわ!
こちらは大山下の枯滝の石組。庭園の中で、一番石数を使っている作品です。
入り組みながら池に出てきました。全てを見るには、同じ道を通る必要もあります。
対岸のあずま屋は行きはぐっちゃった!
西湖堤の手前には砂浜が広がります。潮入りの池のときは、まさに寄せては返す波だったのでしょうね。
州浜に立つ雪見灯篭。旧芝離宮庭園のシンボルともいえる有名な燈篭です。
形といい、大きさといい、なかなか普通は目にしないタイプです。その堂々たる威風に、なぜか背が伸びる気持です。
ここまで来ると、園内を余すことろなくほぼ一周。
また無造作ともいえる置き方で、面白い石がありました。
まだ4月の上旬ですが、すでにツツジが咲きだしました。温かいですからね。
こちらは庭園の前にある公園。
平日はサラリーマンの憩いの場です。
石はかなりふんだんに用いられています。