清澄庭園 巻末付録;清澄公園(東京都江東区)

江戸時代の享保年間に、下総国、関宿城主久世大和守の屋敷となり、庭園の基礎が造られました。
その後、所有者の岩崎弥太郎が、社員の慰安や貴賓の招待場として造園を計画、明治13年に深川親睦園を開園します。
それからも改良が続き、明治を代表する地泉回遊式庭園となりました。
そして、昭和54年に東京都の名勝地に指定されています。

後編始まり早々、見所の一つに差し掛かりました。

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相嶋造園
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 左写真の松の木の裏手に、大きな石を立てた枯れ滝があります。
 よいアングルからの写真が撮れませんでしたから、全体像は見えないかもしれません。申し訳ないことですが、石組みの雰囲気だけお楽しみください。

 大き目の玉石の周りに玉竜が生え入り、枯れ滝に落ち着きが出ています。

 この枯れ滝を作り上げている石は、伊予青石といいます。
愛媛県三崎町で産出する最高級品の石です。ごつごつした硬さの中に感じる、何とも言えない表面の滑らかさや色の出方は正に目の保養です。

 これは、岩崎家が自社の汽船を使って、日本各地から名石を集めて来れたからです。
園内を歩くと、その石の多彩さと数には驚かされますよ。

 いやー、いいものを見させていただきました。
この狭いところにいつまでもいるわけにはいかないので、先に進みます。しかも、伊予の青石は他にもありますよ!

 奥様の足元の石組みもいいですね。
どうやったらそういう積みかたを考え付くのか。

 おっと、道は二つに。
涼亭方面が本線ですので、少し寄り道して先に芭蕉碑がある自由広場を一回りしてから行きましょう。

 広場のを囲むようにに、ベンチがいつくも置かれていて、人々がくつろいでいます。

花菖蒲田。今は上ものが枯れて何もない状態。

 L字型に菖蒲田は作られています。
周りを堀のように池があります。

 休憩用のあずまや。昼過ぎの、暑めの日差しなのですが、皆さん外のベンチのほうが良いようで、日陰にいるかたはほとんどいません。

 芭蕉の碑の上にある木。’タイワンニンジンボク’と看板があります。
実を感冒、眼病薬、葉を腹痛、痛風の薬として用いられます。日本にも結構自生しています。

 知らぬ者のいない、芭蕉の句’古池や、かわづ飛び込む水の音’を刻んだ碑です。
隅田川護岸工事の際、こちらに移されました。

 木々の向こうに建物が建物が見えます。しゃれた建物だと思ったのですが、これは区立図書館です。図書館の前には、児童公園や広場もあります。
あまりにも隣接していると思ったら、もともとは清澄庭園だったところでした。

常緑系の大木も美しいです。すでに来年用のつぼみ、葉芽を大きく膨らませています。

 しかし、こういう広場の脇にも石組みがあって、しかもここのものは、水が流れるようにできているのはさすがです。できれば本当に流れていると最高なんですけど。
とにかく石が贅沢に、ふんだんに使われています。

 再び庭園内に戻ってきました。上記が涼亭。
昭和60年に全面リフォームしました。

 涼亭の横にある春日灯篭。
 灯篭は、真上から見た傘の形で分類するのが基本です。春日は最も有名な灯篭であり、最も基本的な六角形型をしています。

 折角の銅版の屋根なのに、ユリカモメがあんなにとまっていては、糞害で腐食しそうです。

 枝垂れ柳の下に船が一艘ありました。
これだけ池泉が大きいと、回遊式と言いながら、船で池の中を回る、泉遊式(専門的には寝殿造庭園と言います)庭園でも通用します。

 先ほどより近代化した園路灯。
折角灯篭がたくさんあるので、実際に灯りを入れて使ってみても面白いと思いますね。

鳩を従えて歩く奥様。本人は気がついていませんが。

最初に歩いていた池沿いの園路と趣が変わりました。

 この一帯は苔庭になっています。
ちょうど陽が動いていく方角に、先ほどの広場の大木たちがあるため、ずっと日陰になっていて苔の育成にはもってこいの場所です。
 と考えているそばから道に石が立っています。

サンゴジュ

サザンカ

夏みかん

 ここからは、庭園の見所の一つ、沢渡りがあります。
これだけ長く沢渡りできるのは、都内ではないのではないでしょうか?
 懲りずに鴨たちが親しげに寄ってきます。自分達が食べられるかもしれないなんて思わないのですかね?

結構スリルがあります。

 左写真は傘亭。カヤで葺いたキノコ型の休憩所です。

 また池泉沿いに入りながら、石を眺めます。まったく贅沢なつくりです。
 無造作に配置してあるように見せて、自然な風景を多くの石を使い演出しています。

 橋ではなく、手すりのついた飛び石です。
手すりのある分、沢渡りより安心ですが。

 松島と、その先端にある雪見灯篭。
多重塔の天辺に、かもめが一羽とまっています。

 パンフレットに石橋と書いてありましたが、ホントに一枚石を横に2本並べただけの橋です。これほど大きい石も運んだのですね。

 前編でも登場したハゼの木。
昔はこの実でロウを作っていました。
以前読んだ本に、実がはぜる(はじける)ように割れるところから、ハゼという名前がついたと書いてあったと記憶しています。
 ウルシ科ですので、人によってはかぶれます。ちなみに自分も仕事で樹液に触れてから、服の上からでも木に触れるとアレルギーがでることもあります。
ウルシかぶれは、医者に行かないと治りません。ご注意!

 きれいに作られた石橋の先に、また沢渡りが出現します。
この石の大きさはすごいの一言。あまりの大きさに、石の間を泳いでいる鴨が、えぐれた石の下に入って見えなくなることも。
よくこれほどの石を運んだものです。

真正面から見た松島。崎守の灯篭が凛々しいです。

 うまい写真がありませんでしたが、ここの鯉は大きいですよ!丸々していますし。
 今日は休日なので、家族連れ多くあちこちで撮影会をしています。
走り回るのは難しいですけどね。

 大正記念館前まで戻ってきました。
ぐるっと歩くだけでも1時間かかりました。
奥様は記念館の縁側で一休み。

 受付脇の売店の前を、少し歩いてみました。こちらには高い石積みもありました。

 長瀞峡とパンフレットにあります。
秩父の長瀞の渓谷イメージでしょうか。

ピンクのサザンカ

今年から、夜間ライトアップを試験的に行う予定があるそうです。
夜に見る紅葉は、きっと幽玄の世界でしょう。
新しい試みは大歓迎。時間があればぜひ夜に来てみたいものです。

話をする方の中に、意外と清澄庭園の存在を知らない方が多いことに驚いたことがあります。
都内にいても、後楽園や六義園、浜離宮だけが庭園ではありません。
知られていない庭園をこれからも多く紹介していきます。

巻末付録;清澄公園

 清澄庭園の道路をはさんだ反対側が、清澄公園です。駅とは反対方向なので、来る気にならないと寄らない場所かもしれません。

 もともと清澄公園も、清澄庭園の一部だったそうです。
公園を作る際に、庭園の一部を提供したとのことです。
関東大震災の折、清澄庭園を避難場所として提供したことから、岩崎家が庭園の持つ防災性を再認識。
前編でお伝えした図書館のあるスペースも庭園の一部でしたが、都に公園用地として寄付しています。
 当初は、今の倍の敷地を誇っていたのでしょう。
それを都民のために寄付をする岩崎家も、さすが一流企業を興す一族は違います。

現在の公園マップ。

江戸風時計塔

藤棚

 水質維持が困難な状況とのことで、本来あるべき水の流れは止まっています。

 この奥には、広い広場と、立ち入りを制限している桜などの樹木が林の植えられたスペースが存在します。
庭園の一部を利用したのですね。
 近くに住んでいる方々が、犬の散歩やウォーキングに来ておられました。地域の公園としては、十分な広さと使いやすさのある公園だと思います。

 広くはありませんが、咲いているときは見事でした。