六義園(東京都文京区)

川越藩主、柳沢吉保が1702年・元禄15年に築園した大名庭園。
和歌の趣味を基調とする、池泉回遊式庭園です。
明治時代、岩崎彌太郎の別邸となりましたが、その後東京都に寄付され、昭和28年に国の特別名勝に指定されました。
六義(りくぎ)とは、和歌の分類法で、中国の古典から来ています。
そえ歌、かぞえ歌、たとえ歌、なぞらえ歌、ただごと歌、いわい歌の六体のことをあらわしています。
それは園内の造園にも見られ、’万葉集’や’古今和歌集’から抜き取った八十八景を題材に、名勝をかたち作っています。

 六義園は、都心の庭園の人気でもNo1に選ぶ方の多い名勝地です。
園内の起伏の富み方や、広さを生かした雄大な植栽が、見る者を圧倒するスケールだからです。
自分自身、人を案内するなら、小石川の後楽園か六義園だと思います。


*掲載内容が大きくなりましたので、前、後編にわけてお届けします。

前編の内容はここまでです。
後半は、千鳥橋を渡ったところの標識を、素直に吹上茶屋に向かうメインルートからスタートしたいと思います。後編もお楽しみに!

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 六義園の外周を囲む、レンガ塀。
時代の移り変わりの中でできた、これも一つの遺構です。

 現在の入口は一か所。
料金は300円。庭園巡りはお財布にも優しいです。

 約90,000uの広さがあります。もともとはもっと広かったのですが、戦後整備されたときに、現在の形に落ちつたようです。

 きっとここに座って記念写真を撮れるようになっているのでしょう、石碑と腰掛のセット。日本庭園に緋色は合いますね。
 右は受付の横にある、竹垣をくりぬいたゴミ捨て場。ちょっと壊れかけですが、いい趣味だと思います。

 入口を入ってすぐのところに’内庭大門’が見えてきます。
これをくぐるといよいよ本番開始です。

 入って目の前に現れるのは、しだれ桜の大木。
 高さ13m、幅17mあるそうです。戦後の植栽とは思えない大きさ。桜は育ちますね。

 他にも勇壮な木が何本も植えてあります。木に大きさがあると、多少枝がぼさぼさしている方が素敵に感じます。

 さらにもう一つの門をくぐります。
こちらはしっかりした作りというより、仕切りに作られた門という感じ。
竹を主流に仕上げられています。
晒竹の鉄砲垣も、屋根の造作もきれいですね。

目の前に松林が見えていました。中央に作られた池も見え始めます。立体的な奥行きを感じます。

 園路の左手に、’六義館跡(むらくさのたちあと)’と書かれた看板を発見。
 今では六義を音読みで「りくぎ」と発音しますが、吉保の頃は訓読みで「むらくさ」と呼んでいました。
 まだ日差しの強い昼下がり、逆光に写真もかすみました。申し訳ないです。

 きれいに刈り込まれた広々した芝生の奥に、大きな池が出現。その中に島が浮かんでいます。

 ’六義園八十八景の一、妹背山’とあります。
園内にはこのように看板を立て、見せたいポイントをアピールしています。

 古くは女性のことを’妹(いも)’、男性のことを’背(せ)’と呼びました。これにちなみ、大小二つある山を男女の間柄に例え、池に浮かぶ中島を妹背山と呼びます。
イザナギ、イザナミにちなむ、’せきれい石’もあります。

妹背山にはすばらしい松の木がかなりの数植えてあります。船着き場も発見。

 妹背山にかかる唯一の橋、田鶴橋。
通行禁止なので、見るだけです。苔むした感のあるいい雰囲気の橋でした。
中島が広いので、ちょっとのぞいてみたいですね。

 トウカエデのすばらしい巨木に目が惹かれます。

 手前の松の木の奥には’心泉跡(こころのいずみあと)’と書かれた看板が立っています。
池に流れ出る泉があったようです。
 その奥に見える建物は、集会所・心泉亭(しんせんてい)、茶室・宜春亭(ぎしゅんてい)です。

 庭園を紹介するページには必ず出ている、六義園の名物、蓬莱島。
アーチ状に石が組まれた典型的なスタイル。まさに仙人の住む島です。

 開けていた周囲も、徐々に木々が増えだしました。先には雑木林も見えます。
 ちょうどそこから陰で区切られているのが印象的でした。ここから庭の新たな一面に変化します。

 強い日差しの中、満開のムクゲとサルスベリ。

 陰に入ってちょっと寄り道、滝見の茶屋に到着。頭上のもみじの葉に、屋根が緑色に輝きます。光がもみじの葉から透かし込んで、うつくしい色合いに。

想像以上の澄んだ流れに感動です。

 木々の隙間からこぼれた光が、ちょうど水面に浮かんだように置いてある石を照らしています。幻想的な光景に感動です。
 水の中に沈んでいる飛び石が、やけに水面ぎりぎりで、バランスを崩すと、すぐに水の中に落ちていましいそうになります。

 左写真が、水の出でるところです。
山の上には、三尊仏になぞられた石が3つ横に並んでいます。

 縦長に窪んでいる部分が、水の流れ出てくるポイントです。
’枕流洞(まくらながしのどう)’と言います。洞のある枕のような石なので、中国の故事に基づき、この名がつけられたそうです。
 ここが都内だなと思わせられることの一つが、カラスの多さ。特に日陰の水辺は好きなようで群れで多数降りてきます。カメラを構えているくらいじゃぁ逃げもしません。

 手前に見える石を、’水分石(みずわけいし)’と言います。
水を3つに分けるために置かれた石です。
 滝の造形を作る上で、いくつかの役石がありますが、水分石もポピュラーなものの一つです。
ただまっすぐ流れ落としていくより、流れに複雑さや変化が付ける方が見た目にも面白みを感じることができます。

 滝を横目に見ながら、落とし口の上を目指します。
複雑に配置された石が、流れを多様化させ、水の音も響かせます。この滝の音も、一つの癒しになります。
 右は、見下ろした流れ。陰に入ったと思ったら、急に深山幽谷に連れてこられた気分です。

 滝見の茶屋に戻る道すがら、これから渡る千鳥橋も見えてきました。
池泉の色は濁っていますが、この橋までの流れは澄んでいて、木陰にいると涼を感じます。六義園の中で、自分の好きな場所です。
しばらくここで涼んでいきましょう。お弁当の出番です。

 橋に向かう途中、気になるものを発見。
今までの道沿いにも数本見た石柱です。
これは、元々六義園八十八景を表す場所に建てられていた石柱です。
現在では32か所のみに残っているとのこと。

 何とも素朴な’千鳥橋’。六義園の橋は、こういう橋がほとんど。逆にこれが自分のお気に入りなところでもあります。
 瓦を立てて、リュウのヒゲを植えているのがおしゃれです。

 鯉やら亀やら多数泳いでいます。しかし、そんな魚たちに見とれてバランスを崩すと簡単に落水。そのために水際には必ず救命具が用意されていました。
とは言えお世話にならないようにしなければ。

 昔の意匠をそのままに見せている姿勢には感動です。手すりがないというのは、なんと眺めのよいことか。見る者に媚びない庭の力強ささえ感じています。

 橋から見た、滝見茶屋方向。
複雑に組み合わさった石組みが見事です。

 こちらは大池泉の方角。汀に立つ燈篭が印象的です。ちょうど灯篭から先に陽があふれていることも、今のいる場所のギャップにもなります。

 渡った先の草むらに無造作に置かれている赤石。
いいものっぽく見えないですか?

 ここから趣向が変わり、砂利道から土の道に。
この池沿いにある吹上茶屋に向かって、飛び石が敷いてあります。
正方形の平板1枚と、2枚を交互に並べてありますが、1枚の場合は斜めに向けて敷き、線のベクトルを散らしているところが洒落ています。

 標識が現れました。
まっすぐ飛び石沿いに進むと吹上茶屋。
左に曲がると、’吟花亭跡’につづくとのこと。
 ならば迷うことなく脇道に逸れましょう!左に進路をとります。

 ちょっと寂しい道に入ったかなと思う先に、看板がありました。

 ’尋芳径(はなとうこみち)’と書いてあります。吟花亭に続く径ということらしいです。
結局、よく意味はわかりませんでしたが。勉強不足ですいません。

 道はさらに細く、曲がりくねっています。今までよりさらに山の奥に分け入ったような気にさせられます。

 余談ですが、六義園の樹木には、ちゃんと木の名前の書かれたプレートが下げられています。(すべての木ではないですが)これは意外と便利ですね。
できれば自分の知らない名前の木にぶら下がっていないかな。

 少し開けた場所に出たと思ったら、行き過ぎた左手に、’吟花亭跡’の看板を発見。えっ!?でもこれだけなんですか?
空襲により失われた建物も多いのが現実のようです。

 この周辺は桜の木が多いそうで、春はきれいらしいです。つつじなどの中木以下の花の咲く木も多いので、そういう時期に訪れてみたいエリアですね。