小石川後楽園とその外周(東京都文京区)
〜後 編〜
水戸徳川家の祖、頼房が中屋敷として作ったもので、二台藩主光圀(水戸黄門)の代に完成させた池泉回遊式庭園。
後楽園とは、中国の范仲淹が表した’岳陽楼記’の一説「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」(先憂後楽)から名づけられた。
国内でも数少ない特別史跡と特別名勝の両方の指定を受けている庭園。
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自身初の3部作となりました。
余すところなく一つの庭園を紹介しようと思うと、このくらいのボリュームにはしたいと思いました。
後楽園は、山から平地、川や湖など、様々な風景を楽しめるように作られています。
ここでは技法的なことや、庭園の全体像を書き出しましたが、四季折々の植物の顔を観察するにもよくできているところです。
特に桜と、紅葉、菖蒲などはいい名所だと思います。
色々な季節にお邪魔して色々な顔を見たい、そんな贅沢がしたくなる都内一押しの庭園です。
ぜひ、皆さんも自分なりの後楽園に触れてもらいたいと思います。
山頂をもう一度下ります。
良く見ると、通天橋の回りも石が所狭しと組み合わせてあります。
急斜面にあれだけ置くのは大変な作業だったことでしょう。
小さめの石を中心に、階段状に園路を作ってあります。
もともと中国の作りのようです。
あの、手すりが見えるところが清水観音堂跡。
それよりも斜面に据え付けてある石がすごい!
斜面の上に、あんなに傾けて据えてあると崩れてこないか心配になりますが、計算されているのでしょう。
このように自然な様を表現するには、大変なセンスがいることです。自分ならあんな不自然に見える建て方をする勇気がありません。悔しいですが格の違いです。
やっと開けた場所に出ました。
先ほどが後楽園で一番高いところだったとしたら、こちらは一番低い場所でしょうか?
前周囲に対し、目線が上向きになります。
ちなみに、この左手あたりに’音羽の滝’という看板がかかっているのですが、一体どこに滝があるのかがわかりません。
神田上水の名残だったようなのですが、今は流れになっていなのかも。
行かれた方がおりましたら教えてください。
大泉水にあった沢渡りより、はらはらさせられる丸さの石が並びます。気をつけないと足を滑らせます。
優雅な曲線の流れが、旋律を奏でているようです。後楽園は、丸い飛び石が好みのようです。
沢渡りの飛び石から望む通天橋。絵になります。
この済んだ水面は、大堰川(おおいがわ)といいます。
京都嵐山を流れる同名の川にちなんでいるとのこと。
三大将軍、家光もこの庭園作り助言を与えたらしいと書いてありました。
飛び石を渡った先には、小廬山という小山の上のちょっとした展望台に出ます。そちらを覗くのもいいですよ。
今回は、沢渡りをUターンして台泉水に戻る最短ルートを進みます。
あの、木々の間から見える橋を渡って帰ります。’渡月橋’と言います。
丸太を組んだ上に、土を乗せて作った橋です。嵐山にある、同名の橋にちなみます。
この作りも中国風です。
近づくとわかりますが、小砂利に変わる園路が、そのままフラットに橋に続いていきます。
欄干がないと、景色にも不思議な一体感を持ちます。
橋の上でも、すごく自由に見渡せました。
橋の手前にある屏風岩。大きさも結構立派で、大きなもの3枚に、数枚の小さめの石が重なります。
岩にかかるように垂れ下がっている松がいい演出です。
川と言っても、流れはそれほどなく、水深も浅いです。
右の写真の鯉は、実は背びれが水面に出っ放し。
よくそれで体が乾かないものだと思ってしまいます。
正面から川を見ると、渓流のイメージそのもの。
川の中に自然な感じに配置されいる幾つもの石が、山あいの川の雰囲気を醸し出していますね。
川の左側にあるものが気になっていた方もいるかもしれません。蛇籠というものです。
竹で編んだ籠に、石が入っています。
ヘビのようにくねくね長いので、その名が当てられました。
簡単な堰の代わりとしてや、流れを緩和させる働きがあります。ここでは本来の役割より、渓流の雰囲気を出すために置かれていると思われます。
それと、蛇籠はもともと中国から伝わったものです。朱舜水の設計が生かされているのでしょう。
川岸の緑もきれいです。都心にありながら、本当に木の大きさを感じられる場所です。
汀は大き目の石で留められています。
斜面の土抱えを兼ねているのでしょう。
木陰に見える通天橋の朱塗りが、淡い別色のコントラストを出しています。。
きっと紅葉期には、周りの木との配色も違うものになるのでしょうね。それを狙って作られているだけに、秋にぜひ来たいものです。
渡月橋の、反対側の景色です。渓流から大きな湖に移ったようなイメージです。
この一直線に伸びる堤は、’西湖堤’といいます。
中国杭州にある西湖の堤を模したものです。
こういう堤の作りは、その後の庭園デザインの先駆けになったものとのこと。
結界が置いてあるので、堤を歩くことはできないのでしょうね。道はあるようなんですが、ちょっと残念。
受付横にあった集会所、’涵徳亭’(かんとくてい)です。
空いている部屋では、リーズナブルな値段(都立ですから)でランチを食べることもでき人気があるようです。
自分が都内でサラリーマンをしているとき、こんなおしゃれな場所でのランチなんて想像できませんでしたね。
何より時間なく飛び回っていましたし。
入り口から続く、桜の木々たちの下に戻ってきました。数種の桜の並木道です。
竹を曲げて作ってある柵が好きです。
水掘れ石。
無知な植木屋は、水掘れ石の正確な意味がわからず、あれこれ探しましたが、やっぱり見つけられませんでした。
今後の課題として、わかったら書き直したいと思います。
オカメササに覆われている小山は’小廬山’(しょうろざん)と言います。
中国の廬山にちなみ、京都の清水一帯を小廬山と呼ばれています。この大堰川の周りが清水に似ているところから、この小山を小廬山としました。
その下には、蓮池が広がっています。
花がいくつか咲いていました。
蓮池と大泉水にかかる橋。
切石を使った、シンプルながらも重厚な橋です。
この先にある、見逃したところをカメラに収めに行きたいと思います。
お目当ての、’一つ松’。
琵琶湖を模した大泉水なので、琵琶湖にある一つ松も模して、ここに植え込んだそうです。。
大きさは大したことはありませんが、枝の曲がりや下がり方は、若い松にはないものがあります。支えも厳重です。
遠く大泉水では、最初に登場した白鷺が獲物を狙う姿がありました。
その手間には、いつの間にか毛づくろいをする鴨の姿もあります。
暑い日なのに鳥達も元気だと感心します。
’丸屋’。江戸時代の田舎の茶店のイメージだそうです。ちょうど若い女性が腰掛けました。昔の旅人もああいう風に寛いだのでしょう。
丸屋の脇の大きくせり出したサルスベリ。早くも花はほぼ終わってしまっています。こちらも、幹のねじれに年期を感じる木です。肌が滑らかで模様が走っていて美しい木です。
凝縮された空間を歩いていたので、このように広い開放的な空間に落ち着く気持ちです。芝生にごろんと寝転びたい衝動に駆られますが、今日は木陰が恋しい暑さです。
これで、無事園内一周です。
約2時間歩きました。撮影を意識しなければ、そして人と一緒であれば、もっとのんびりし歩きたい所です。
出口に到着です。お疲れ様でした!
行きとは違う方向に向かってみましょう。
こちらにも同じ塀が続き、しかもすぐ脇に遊歩道が整備されています。この道を行くと、水道橋方面に抜けます。
この右側には、日中友好会館があります。
今日は、このまま遊歩道を抜け、東京ドームを横目に歩いて、湯島天神、神田明神を目指そうと思っています。急がないと夕方です!
この遊歩道は、文京区の都市計画マスタープランによって作られたスペースで、周りのビルの協力によって植栽された緑地帯です。基本的に歩行者のみが通れます(と言いながら自転車に抜かされましたが)。
ビル側の木も、大きさは後楽園に負けていないですね。
場所によってはビルの敷地内まで植栽が続いていますが、ほとんどのところは、スペース的にはぎりぎりの確保なのでしょう。ちょっと植物の成長には厳しい広さです。
ん?何やら右手奥に上に続く階段を発見しました。
屋上庭園案内の看板を発見。ここも開放されているようです。
よい機会ですから上がってみましょう。
こちらは、ヒルズでおなじみ、森さんのビルです。何回建てなのでしょう?野田市にはこんな高い建物なんてありません。
すげぇなぁ〜とーきょーって。
床はウッドデッキ風になっていて、ベンチがおいてあり、休憩できるようになっています。庭園と言うとちょっとかっこよすぎかも。平らに言うと、屋上緑化ですか。
階下には、後楽園の資料展示室が。これはここを通らない人には見つからない部屋ですね。歴史ある写真に見入ってしまいました。
エゴの木には、たくさんの実が生っていました。
昔はこの実を、石鹸代わりにしたり、含まれる毒成分で魚を獲ったりしました。
空が高い。ビルも高い。塀が先で途切れました。
いよいよ出口です。
内庭の正門を外から見たところ。
最初はこちらが出入り口だったのでしょう、表から見る門としてはこちらの方が立派です。
この先は一般道。
長かった後楽園の周遊記もここでお終いです。ここの街路樹はクスの木か。いいかも。すでに余韻に浸る暇もなく、自分の興味の半分は新しいものへ。
まったく世の中おもしろいことだらけです!
芝から、笹に変わっていきます。