〜フランス・暴走編〜
パリっていい町ですね!
他の都市を知っているわけではないですけど、東京と比べてもこんなに統一された都市の形状はしていません。
そして、これほど見所多き町とは想像だにしていなかったせいか、後24時間しか観光できないなんて何と残念なことか!
その思いが鬱積するにつれ、二代目の暴走がはじまります。
乞うご期待。
いよいよツアー最後の目的地、パリに乗り込みます。
実質パリでの行動時間は1日半。どこを見ていいか分からないながら、あちこちで写真を撮りまくりました。
しかし、それを時系列で掲載していくと、かなりダブった内容になってしまいます。
ですので順を追いながらも、内容は前後しています。ご了承ください。
翼よ、あれがパリの灯りだ
その台詞は飛行機で着たときに使えばよいのに、今になって思い出すものですから違うときに使っちゃいました。
だってリンドバーグの憧れの台詞ですからね。
TGVに乗るため駅に入るわけですが、ちゃんと出国審査があります。
スイスはEU非加盟国ですから、フランスに向けて国を出る以上、ちゃんとパスポートの提示をするわけです。緊張しながらゲートをくぐりましたが、我々は日本人団体ツアーなので、顔パスですんじゃいました。
列車に乗るまでしばし時間がありましたので、スーパーで買い物をしました。懲りずに果物や飲み物を購入したのですが、そのときのレジのお姉さん、ホントめんどくさそうにレジを打っています。
前の人にはレシートが出ていたのに、自分の番のときは出てきませんでした。
ですから、「レシートください。」って言ったのですが、お姉さん出してくれそうになりながら、「出ないわ。」ってこれまた面倒そうに話すのです。意地でももらってやる!と一瞬思いましたが、人がかなり並んでいたので諦めました。
神経質になりすぎなのでしょうが、アジア人ってやっぱり損なのかも。
これが最高時速300キロを誇るフランスのTGVですか!かっこいいですね。
席は全席指定で我々は2等席。座席は、基本形は4人向かい合わせ。我々は三重からのお姉さん二人組と一緒になり、自分達が撮った写真を見せ合ったり、買ってきたものの話などで盛り上がりました。
パリまで3時間30分の旅路でしたが、ずっとしゃべっている間に着いちゃいました。
和食レストラン内野さんのお弁当。
久々の本物の和食です。日本を離れほんの数日なのに、こんなに日本食が恋しくなるなんて自分でもびっくりしました。
やっぱり食べなれたものが一番なんですね。
「あなたはご飯がないと生きていけないものね。」
と、よく奥さんに冷やかされますが、自分の体は日本米で出来ていますからね。
パリ、リヨン駅に到着です。すでにパリでのコーディネーターさんがスタンバって下さっていて、そのままバスで各ホテルまで送ってくれました。
夜でしたが今までにない、建物しかない通りばかり走りました。新たな興奮です!
ホテル スクリーブ・パリ
パリでのツアーは、今までのツアースタイルとは違い、2日同じホテルへ連泊、半日のみパリの説明と市内バスツアーがあるだけで、後は飛行場に向かうときまで自由行動となります。
皆さん、モンサンミッシェルに行ったり、イルミネーションツアー、ディナークルーズなどそれぞれがオプションや自己企画を使い楽しまれたようです。
このツアーの宿は、他のツアーよりちょっといい目のホテルを用意してくれていて助かりましたが、折角のパリでの連泊で新婚旅行なのだからデラックスホテルにグレードアップ!してみました。ツアーが取ってくれたのは、スクリーブ・ホテル。オペラ座のすぐそばにある、観光拠点にするには好立地の、リッチなホテルです。
翌朝撮影したホテルの写真。もちろんちゃんとボーイさんもいますし、ホテルマンの役割もそれぞれ専門化されています。
1〜4等級まであるホテルの格付けの中で、4等さらにその上の4等デラックスにしているガイドブックもある由緒あるホテル。
今までになく豪華な作りに感動と、ちょっと場違いな戸惑いです。
客室階へのエレベーター使用も、部屋のカードキーを差し込まないと作動しないタイプです。うまく動かせず、客室に向かう外人さんのお世話になったときもありました。みんな親切でした。
テレビも壁掛け最新薄型。しかもインターネットも使えるようです。有料ですがミニバーもついています。ポットや冷蔵庫も標準装備。
今回初のトイレとバスが別になったタイプです。
しかもテレビの音が、バスやトイレに設置されているスピーカーから流れてきます。
スクリブでの朝食
基本は、今までのアメリカンブレックファーストスタイルと同じですが、その品数、盛り付け方がちょっとリッチ。ヨーグルトだけで4,5種類おいてあったり、各テーブルには数種のジャムの小瓶やタバスコなど調味料も新品のまま置いてあるのです。朝からディナー感覚で食事しちゃいました。
右は、味噌汁。日本のツアー客が泊まっているからでしょう、ご飯や梅干などがありましたが、ちょっと日本食とは違うのかな?味も面白い味付け。これもいい思い出となりました。
花の都の車窓から 〜パリ半日バスツアー〜
ツアーの皆さんと観光する最後のツアーのはじまりです。
こちらで周った箇所全てを掲載すると、今後のページが重複してしまうので、ここではバスから降り立ったスポットと、他では見なかった建物を載せたいと思います。
ドライバーは、アルモンドさん。トーマスさん運転のバスもよかったですが、こちらのバスもなかなか。この辺はさすがヨーロッパといったところでしょうか。
もちろん、パリといえど車内は禁煙です。
でも、ちゃんとしたバスで特に奥様は助かっていました。
これからホテルに迎えに来てくれたバスに乗って、そのまま一周してみたいと思います。
バスは、ルーブル地区を抜けパリを南下。セーヌ川に出ました。
セーヌ川の中州、シテ島に上陸します。
現れたのは、コンシェルジュリー。フランス革命時は牢獄として使用され、あのマリーアントワネットも収容されていました。「ギロチンへの入り口」と言われた建物です。
右写真の二本の丸いとんがり頭の塔は入り口の監視塔。左写真一番高い、四角い建物が一番端に立つ時計塔オルロージュ塔。
最高裁判所。その左手にかすかに写っているのがサント・シャペル教会。この教会と、コンシェルジュリーは見学ができ、できれば中を見たかった場所です。
下の写真はパリの警視庁。入り口に警察官が立っています。
右写真はパンテオン。
元々はルイ15世が、自らの病気回復を願って建てたものですが、革命後は地下にルソーやユゴーらが眠る墓所になっています。また、フーコーの振り子の実験に使われたことでも有名な建物です。
まだ早朝の閑散とした町並み。
黄色い建物は区役所。
リュクサンブール公園脇の6本の道が交差するターミナル。正面にパンテオンが見えます。角にマックがありますが、町並みに溶け込むようにお得意の赤色も抑え気味になっています。
リュクサンブール公園&宮殿。
アンリ4世の王妃マリー・ド・メディシスによって17世紀はじめに作られました。王妃の故郷であるイタリア風の宮殿に、イギリスとフランス様式の庭園が混在します。いたるところにある彫刻の中には、自由の女神の原像もあります。残念ながら像は見ましたが、車内からでは写真に撮るタイミングがありませんでした。
フランス庭園の技巧の一つが、上記写真のように、宮殿を起点に一直線に伸びた線上(ビスタ)の左右に,視線を遮るように木を列植して遠近感を出す手法があります。対称形を基本に全体の調和を図るように作られています。
再びセーヌ川に戻ってきました。
路駐と同じような感覚で、河岸沿いに船が停泊しています。これは実は’家’。許可をとって船上生活をしているのです。
実際にはお金持ちが多いようですが。
右写真は、コンコルド広場に続くコンコルド橋。
パリ観光には、市内中央を流れるこのセーヌ川の船上バスを使うのもいい手です。かなり有名どころを結んでくれます。
元老院と、国民議会が二院制をしくフランスでは、リュクサンブール宮殿を元老院が、こちらのブルボン宮殿を国民議会が使用しています。
’アサンブレ・ナシオナル’と柱の上部に書かれています。国民議会に優先権があるフランスなので、ここが国会議事堂と言ってもよいのではないでしょうか。
右写真は、第五回パリ万博の折にパビリオンとして1900年に作られたグラン・パレ。向かいにプティ・パレもあり、現在は美術館として使用されています。
目の前に凱旋門が出現。で、でかいっす!朝から観光客が大勢来ています。朝来ないと展望台はめちゃ混みになるそうですよ。
凱旋門は、ナポレオンが、戦勝記念に作ろうとしたものなので、彫刻は全てナポレオンの代表的な勝ち戦が納められています。
裏、表で内容も異なります。
トロカデロ広場と、そこから見るシャイヨ宮とエッフェル塔。
パリ万博の会場として建てられたシャイヨ宮は、湾曲した対称形の建物が左右に広がる美しいデザインになっています。今は正面の噴水前にバスがいます。
この反対側に、セーヌ川をはさんでエッフェル塔が建っているのです。この一帯は、観光コース&憩いの広場になっていて、多くの人々がすでにおりました。
今日もおしゃれな小畠サン。自分も今夜のディナーのためにジャケットを着てきています。パリに来たらツアーの皆さん急におしゃれになっています。
朝日の逆光の中、シャイヨ宮に下り立ち、エッフェル塔をカメラに収めました。半日ツアー最初の降車ポイント。
エッフェル塔は、フランス革命100周年の記念に、1889年公募作の中からエッフェルさんの作品が選ばれ、建設されました。最初は物議をかもしたデザインでしたが、今では立派なパリの顔になっています。
当初はモニュメントの予定で作られましたが、今では東京タワーのように電波塔の役目をしています。
塔の中ほどに見える楕円の物体は、ラグビーワールドカップを宣伝する飛行船です。
皆さん、手のひらを上にして写真を撮っています。ヨーロッパの人たちは、名所を手に乗せたような写真が好きなようで、いたるところの建物で同じ光景が見られます。
エッフェル塔のすぐ横を通る道を抜けて、反対側から眺めてみましょう。
セーヌ川も越えます。
思っていた以上に、パリの街は広く、そして緑が多いです。樹木も大きい。
エッフェル塔のあるシャン・ド・マルス公園の向かいにある陸軍士官学校。
もともと公園自体が教練に使われたり、パレードをしたするところだったそうです。
公園の前には、真っ赤なバラの植え込みが続きます。
公園内を、集団で抜ける一団が。パリでは一般的な乗り物になっているのでしょうか?
エッフェル塔に背を向けて公園内の樹木の写真ばかり撮っていたら、近くにいたフランス人のおじいさんに「セ・ボン!」と声をかけられました。
すかさずこちらも「セ・ボン!」と返します。
きっと「この木はいいだろ?」と言われていると想像。
その後、今度は英語で「It's beautiful!」とおじいさんに言われたので、「Yes! It's beautiful trees.」と答えると、うなずきながら去って行きました。フランス人が母国語にプライドを持っていると言っても、ちゃんとこちら次第で英語を使ってくれるとわかってうれしくなりました。
士官学校裏手にすぐ見えてくるのは、アンヴァリッド。博物館も含め、軍事関係の歴史的展示があります。建物の周りには砲台も置かれています。
ここでの一番の目玉は、上記ドーム教会の地下に眠るナポレンの遺骸でしょう。
橋の四隅には、芸術、農業、闘争、戦争を意味する女神の金色の像が立っています。グラン・パレも目の前。
アレクサンドル3世橋。単一アーチで、橋脚無しにセーヌ川を一跨ぎしている橋です。
コンコルド広場が見えてきました。
街路樹を生垣風に四角く作るっているのが新鮮に写ります。
革命時、ギロチンが置かれたことで皆が知っているコンコルド広場です。
最初は、ルイ15世広場と呼ばれ、その後革命広場、現在に至って「和合」を意味するコンコルド広場に落ち着きました。
噴水や像がありますが、意外と処刑場所のランドマークになっていて、噴水付近でマリーアントワネット、上記の像の付近でルイ16世が処刑されています。
噴水奥に建っている建物は、海軍省。その左に有名ホテル・リヨンが並びます。かつてルイ15世の宮殿であっただけに、外観もすばらしいです。
この広場にいて語らずには帰れない、オベリスク。1829年、エジプト副王のムハマッド・アリから贈られたものです。
凱旋門に続くシャンゼリゼ通り。異国の地にて、何を見つめる奥様?
観覧車が仮設で作られていました。イベントの一環です。その下にあったピカソ的作品がパリっぽいです。
今回お世話になった方々が集合中。
中央の品の良いおば様がパリのガイド山田サン。
その右手がドライバーのムッシュ・アルモンド。山田サン曰く、アンリ4世に似ているそうで。
ぶつけ駐車を発見!。日本人には衝撃映像なんですけどね。こちらでは思っていた以上に普通にあるんです!だって片方はパリでも高級車のBMWですよ。こんな止め方あり?
山田サンにお聞きすると、「バンパーは元々がぶつけても良いためについているので、傷ついたりへこんだりするのは当たり前。」とフランス人たちは思っているそうです。というより、日本人が神経質すぎるのでしょうけどね。
ここでさらに素朴な疑問、この車どうやって出るのでしょう?「もちろん車で、車を押して出る。」そうです。また、別のガイドさんにも色々聞いたのですが、結局パリ市内の車は’足’程度の意識のようです。ピカピカにして置いておくと、返って傷つけられるのですって!中心部にガソリンスタンドは見当たりませんが、実は地下にあったりもします。景観はすごく大切にしていますよ。車以上に。
それと、なぜかマニュアル車ばかり。見かけた6割はマニュアルでした。こちらの方はオートマ車は信用していないそうで、皆マニュアルを買うそうです。ただ、ドイツと違ってバラエティーに富んだ車種が走っています。トヨタ、マツダも多かったです。こちら仕様の車も多く、日本車なのに新鮮に写りました。でもドイツと違って車がボロく見えるのは言うまでもありません。
どこで撮影したか忘れちゃいましたが、車窓から撮ったジャンヌ像。フランスと言ったら忘れちゃいけません聖女です。
バスは終点オペラ・ガルニエ裏手、パリ最大級デパートギャラリーラファイエットに到着。日本人用サービスカウンター前にて解散となります。