〜フランス・暴走編〜
パリに来て何を中心に観光するのか?
旅行前、恩師には目的によって行く場所が変わってくるとアドバイスを受けました。
正直、自分には見たいものを絞り込むことができませんでした。
どうせなら片っ端からパリに触れたいと思っていましたから。
しかし欲張りは大変です。美術館ですらこれだけ一気に周ったら、どれだけのものを見ることができたのか?
何にしてもこの町には時間が少なすぎました。
しかも、回った先はまだまだたくさんあります。
その暴走の行き先は、また次回お披露目です。
オペラ座の怪人
半日バスツアーを終え、ギャラリーラファイエットでちょっと買い物したら、先ずは目の前にあるオペラ座の見学に行きました。上演されていないときは、有料ですが内部の見学ができます。
すばらしい建物です!費用と、労力がかけられたのがよくわかります。当時はさらに輝いて見えていたのでしょう。しかも、ここはデパートのあるオペラ座の真裏からの写真。日本のように建物に隣接する駐車場や周りを囲む柵がないせいか、どの建物も中に入らずともその周辺を何の気なしにぐるぐる歩けます。この身近さがうれしい限り。
こちらがオペラ座正面。歴史的建造物なのに、皆が階段の前に座ってパンをかじっています。日本でこんなことをしているといやがる方も多いでしょうが、こちらにいると、自分も座って周りに溶け込むことがおしゃれに感じてしまいます
目の前はこんなに車であふれかえっているのに、その近くではこのような寛いだ場が広がっているのはまた不思議な感覚。
鳩が縦横無尽なのは、どこの都市でも変わらないようですが。
とは言え、さすがに文化遺産。入る前に持ち物検査をさせられました。これから行く、教会以外の主要観光スポット、同じかそれ以上の身体検査が行われます。
オペラ座は、1860年のパリ改造計画の一環で、設計コンペにより選ばれた若干35歳の無名建築家シャルル・ガルニエによりデザインされました。
巨額の費用と、芸術家を投入し、15年後の1875年にこけら落としされます。
その後は、1989年のオペラ・バスティーユの完成まで、多くの作品が上演されました。現在はバレエ中心の上演です。
左写真が玄関前。大理石で作られた、見ただけで贅沢な作りに、入る前から期待で興奮してしまいました。
いよいよ中に入っていきましょう。
映画で見た’オペラ座の怪人’のシーンが目の前に本物として迫っています。
華麗なる天上画。
内部には、博物館や資料館もあり、オペラ座の歴史や、作品の楽譜や衣装に関する絵画など展示されています。
ちょうど上演会場の地下でしょうか。ファントムが走ってきそうです。
まさに「音楽の天使」の歌声が聞こえてきそうな回廊です。
建築様式自体、古典主義からバッロクまで取り入れているだけあって、全てのいいとこどりで作られています。
こういう煌びやかさは、日本人の美意識とは違いますが、誰が見ても’豪華な作り’と思うことは間違いないないでしょう。
ガストンルルーの小説’オペラ座の怪人’の中で、オペラ座の地下には広大に広がる地下水路があるとなっています。
日本の劇場の持つ、一定以上の明るさの廊下と違い、こちらの間接照明は、煌びやかさだけではない、独特の闇も生成しています。こんな暗い道筋、公共の建物の中では考えられませんよね。一瞬デジャビューを見る感覚に陥りながら、歴史の一端に触れた気になりました。
再び中央階段に戻ってきて、出口です。
オペラガルニエの名前の由来、シャルル・ガルニエ像。
エッフェルさん然り、ガルニエさん然り、これほど重要な建物を、コンクールとは言え無名の新人の作を起用するなんて、パリは懐が深い。さすが芸術家達が輩出された町なんですね。
美術館めぐり 〜その前に昼食inチェイルリー公園〜
オペラ座を覗いた頃には、時計は12時を周っています。そろそろランチにしたいのですが、こちら流ののんびりとしたレストラン食事をしていると、観光の時間が一気になくなってしまいます。しかもランチなのにいいお値段。
そこで、パリ二回目となる奥様の提案で、サンドウィッチを買って公園で食べることにしました。
パレ・ロワイヤル前、アンドレ・マルロー広場から。噴水前にも、多くの人がお昼の憩いをすごしていました。オペラ座から、オペラ通りをルーブル方向に歩いたところです。
途中、奥様お気に入りの’ポール’というパン屋さんでサンドウィッチを購入。
どれも目移りする品揃え。うまそーです。でも日本と違い、ショーウィンドウの中のパンを店員さんに取ってもらうので、指定するのが大変。
パリの公衆電話。向かい合わせになっているのかな?
こちらはパリの有料公衆トイレ。決められたお金を入れるとドアが開きます。スリムなフォルムと、場所を選ばないスタイルがおしゃれなのでしょうが、いきなりドアが開くのでちょっと面食らいます。
今流行っている、レンタサイクル。電動自転車もあります。いくつかの場所に専用自転車置き場があって、好きな置き場に返せばよい時間貸しのシステムで、パリの新しい交通手段になっていますが、外国人や旅行者が使用するには手続きが面倒だったりして使うことはなかったです。
多くの人々がくつろぐ、チェイルリー公園の中心部の噴水の前でランチです。家族連れや観光客で周囲に置いてあるイスは取り合い状態。
今回買った2種類のサンドウィッチ。
どちらもなかなかのお味。夜のディナーを想定して控えめにしました。
公園内にあるジュ・ド・ポール美術館。
チェイルリー公園は、1563年王大后カトリーヌ・ド・メディシスがチェイルリー宮殿と庭園を造らせたものが始まりで、ル・ノートルにより手が加えられ完成。宮殿は戦火によって焼失してしまい庭園だけが現存しています。
コンコルド広場からルーブル宮をつなぐ細長い公園で、多くの彫像も配置されています。
ダリアやコスモス、ブルーセージ、色彩豊かな花々が花壇を飾っています。
細長い庭園の園路に沿うように、細長く作られているところが多いです。上からみおろしてみたい公園です。
おっと、芸術の話をするコーナーにしようと思っていたのに、植物の写真を撮ることに夢中になってしまいました。
西洋式の庭園の場合は、庭を見ることに楽しみを感じるより、庭の中でくつろぐ空間を楽しみを持って作っているように見えます。ですので、木の配置より花壇の花やオブジェで変化をつけています。
古典も前衛的作品も入り混じって見る人を楽しませてくれている彫刻群。公園内で探し出すと癖になります。
この辺の写真は全て、「ちょっと写真撮ってくっから。」と奥様を残し一人走り回り撮ったものです。うちの奥様が理解ある女性で感謝(すでに諦めが入っている?)。
ルーブル美術館
カルーゼル凱旋門。こちらも、ナポレオンが作ったもので、直線状に大きな方の凱旋門があります。あちらの重厚な凱旋門に対し、こちらの方が優美な印象を受けます。
ここはカルーゼル公園。すでに両側にはルーブル宮の建物があります。まさにルーブルの入り口的存在。
その大きさに呆れるルーブル宮。これから入り口までまだ200mはあります。ということは、ルーブルの展示を見るためにはまたこの端来て、反対側の展示を見るためにはまた200m以上戻って入り口から反対の建物に回りこまなければいけないと。しかも、地下一階から、地上三階まで建物はあり、入り口のさらに先にも展示室はあるわけで……。総延長何キロになるのでしょうか?先を考えると恐ろしくなる建物です。
あの有名なガラスのピラミッドが見えてきました。あそこから地下に下ったところが入り口となります。
ただただ、この迫力に言葉が出ません。
元は12世紀に城塞として建てられた宮殿です。フランス革命後、美術館として使用されるようになり、開館200周年のイベントで、1993年にガラスのピラミッドが建設されました。
ピラミッドを囲むように、コの字型に建物が作られています。
中に入りました。主要作品には、通路に方向を示す案内が出ています。とにかく広い!自分がどこを歩いているのか感覚がわからなくなってしまいます。絵画だけではなく、彫刻や美術品も一見の価値あり。
一番混雑していたのは、やはりモナリザの前。撮影禁止と言いながら、大勢いる警備員達も撮影を止めないので皆撮りまくっていました。以外に無防備に展示がしてあって、目の前で見られるのはすごいことです。まさか贋物か?なんて考えてしまいました。作品はそれほど大きくないのですね。
こちらの美術館のすごいところは、撮影(フラッシュは使用禁止)や模写が基本的にはオーケーと言うこと。皆写真を撮っていましたが、絵は肉筆画にかぎると思っている自分には、あまりここでの撮影はどうでもよいことで、見たい作品のみじっくり見させてもらいました。
中から見るルーブル宮も、外から眺めているのと変わらないような迫力です。美しい建物です。
先ほどの凱旋門までフロアを移動してきました。ホントパリはよく歩かされるところなんです。
本当は有名作品だけでも掲載しようかと思ったのですが、そんな写真見たければいくらでもネット上で探せますし、感動はわくものではありません。しかも、次の予定地を考えると、のんびり撮影している暇もありませんでした。とにかく駆け足でルーブルを一周です。さすがに奥様は二人分の体力を使っているので、途中で休んでいてもらって一人で走っている箇所も多いです。もしゆっくりルーブルを見るなら、ここだけで数日は予定を組まないと無理なところでした。
オランジェリー美術館
もともとナポレオン3世が、冬の間にオレンジなどの果樹を保護しておくために作った温室だったそうです。
1927年に、モネの「睡蓮」が寄贈されたところから、美術館としての歴史がはじまりました。
チェイルリー公園の端っこにある建物が美術館。
植え込みの奥にわずかに屋根だけ見える細長いところです。コンコルド広場は目の前ですし、そのすぐ横はセーヌ川があります。こんなところに作ったのは、温室利用が目的だったと言われれば納得。
名前の’オランジェリー’も、オレンジのフランス語読みから来ているそうです。
実はオランジェリーは、ルーブルの次の日一人で走ってきた場所です。ルーブルが一切並ばずすんなり入れたので、油断して来てしまいました。平日だというのに、昼過ぎには入場制限の列が出来ていて、15分待たされました。
元温室と言われても、まったくイメージの湧かない外観。とても歴史ある重厚な建物に感じます。しかし、中に入るとガラスが多いので、雰囲気はわかります。特に天上がガラス張りの通路に行くと、自然光がまぶしいくらいです。
最近まで、数年かけて改装していたそうです。
終わった後に来られてラッキーでした。
オランジェリーの一番の目玉は、このモネの’睡蓮’の連作でしょう。楕円に並べられた絵画の大きさに圧倒されます。
他にも有名作品多数展示。しかもその作品のほとんどは、一人の画商の寄贈により成り立っているところがまたすごい話です。
オルセー美術館
ルーブルより、セーヌ川を渡って対岸沿いの通りに出ます。
目指すオルセーはこの道沿い左手にあります。
自転車用の信号です。自転車専用レーンがあったりします。道路の左手にあるのがオルセー。一緒にオルセーの左隣の預金信託銀行の建物も写っています。どちらも立派な建築物です。
路上の絵描きさんや絵画を売る人が道沿いに大勢いました。実は未来の巨匠もいたのかも。
何故か入り口前に動物のオブジェが多数ありました。
元々オルセーは、1900年オルレアン鉄道の終着駅として作られました。
しかし、わずか39年で鉄道は廃止。その後色々な施設として利用されたそうですが、一時は取り壊しの話も出たそうです。
1986年、ようやく美術館として新たな命を吹き込まれ、今日に至る次第です。
パリには3大美術館があります。
先に紹介したルーブル美術館、今書いているオルセー、実際に行きはぐりましたが国立近代美術館(ポンピドー芸術文化センター内)がそうです。
19世紀中ごろから20世紀初頭の作品がオルセーに、それ以前がルーブル、それ以降が近代美術館にあり、この3つを周ると、フランス絵画の歴史を全て網羅することができるのです。
中央のフロア部分を見ると、さすが駅の後なのがよくわかります。
壁にかけられている時計が当時をしのばせます。
彫刻も含め、自分の好きな印象派の作家達の作品が多数展示されており、絵画を見るならオルセーが一番参考になるかと思いました。
課外授業で高校生くらいの生徒さん達が、デッサンをしていました。うらやましい環境ですね。