〜ドイツ・激走編〜
次回、いよいよドイツ編クライマックスです。
このお城は、ドイツで一番有名なお城でしょう。
それを最後にドイツとお別れ。そして次の国に向かって新たな激走がはじまります。
鉄看板について
リューデスハイムやハイデルベルクでも少しだけ紹介しましたが、ドイツの見所の一つに鉄看板があります。
それぞれのお店が、個性豊かにデザインした意匠みあふれる看板は見ていて飽きませんし、町を歩きながら好きな看板を探す楽しみや、それをコレクションしていく楽しみも生まれます。
この看板、ただ好きに飾っているわけではありません。実はちゃんと決めごとがあるようで、大きさや飾る高さや場所などが統一されているのです。
こういう統一美はドイツのお得意技のようで、看板に限らず建物や生活においても、そのせいで少々不便を強いられることになるとしても、美しさや環境を優先に考えるところは非常に感心させられました。
今回ローテンブルクの街中で撮影した数枚の鉄看板を掲載しながら、それに補足を加えたいと思います。
一番多く目にするのは、レストランとホテルの看板です。
よく見ると、ただ凝った看板を下げているだけではなく、そこにお店の種類や屋号を見て取れるようにもなっていることがわかりました。
一宿一飯のお世話になった、アルテス・ブロイハウス。
直訳すると、’古い醸造所’となります。
看板の中心には、醸造用の古いタンクのようなものが描かれていますね。
こちらは、アイゼンフート、’鉄の帽子’。
そのものずばり、鉄の帽子がぶら下がっています。
ゴルデネスラム。分かります?答えは’金の子羊’です。
などなど、例を挙げたらきりがありません。
他の職種の看板も掲載しておきましょう。
このマークは、薬局を示しています。
コップの真ん中に描かれているのは、蛇と杖。
ギリシャの医神、’アスクレピオスの杖’と呼ばれるヨーロッパ共通の印。
同じように、パン屋は王冠をかぶったプレッツェルが描かれているし、ワイン酒場はワインカップになっていたりしています。
銀行も、なかなかおしゃれな看板です。支柱に使っているデザインが可愛いですよね?
これは鍛冶屋さん。
鍛冶道具が描かれています。
町中いたるところに看板が目に入ります。
目移りしますが、よく観察してみてください!
今回は、看板まで目を向けていなかったため、あまり紹介できなく残念でした。看板も、一つ一つ意味するところを調べていくと、もっと面白い看板も多いでしょうね。
皆さんも、ドイツを旅行の際は、各都市にある鉄看板にも目を向けてみてください。
ロマンチック街道
まさに、知らぬもののいないドイツの有名観光ルートです。ロマンチック街道の道沿いには、時折’ロマンチック街道’と書かれた看板があがっているのですが、なぜか、ドイツ語と英語の看板の下に、付け足したように日本語でも表記があります。
他の国に申し訳ない気もしますが、それだけ日本人観光客が多いのでしょう。
マイン河畔にあるヴュルツブルクのから、ドイツアルプス山麓の町フュッセンに続く約350kmの街道です。これから、ローテンブルクを出てこの街道を南下し、272km先フュッセンの今夜のお宿まで向かいます。
途中立ち寄った町やバス窓越しの風景をお楽しみください。
ディンケルスビュール
ローテンブルクからすぐの距離に、次の観光地ディンケルスビュールがあります。
’小麦(ディンケル)’と’丘(ビュール)’という二つの言葉を組み合わせた都市名です。
それは、豊かな穀倉地帯であったことを表し、市章も’3つの丘に3本の小麦’です。
こちらも中世帝国自由都市として栄えた町で、第二次世界大戦でも奇跡的に被害をほとんど被らなかった町です。
お隣ローテンブルクはほぼ壊滅状態だった町を建て直したのですが、こちらはまったくオリジナルの町並み。それが今の観光地としての地位を築きました。
町の規模こそローテンブルクより小さいですが、見る価値ありの町でした。
この町にも、ローテンブルクのマイスタートゥルンクに負けない逸話があります。
やはり30年戦争時、町を包囲した敵軍スウェーデン国のシュペロイト大公が町を焼き払おうとしたとき、塔の見張り番の娘ローレと、町の子供達が町を救ってもらえるように、大公に直訴。
自分の子供と面影が重なったことで、大公はこれを聞き届け、町は焼き払われずにすみました。
この話はキンダーツェッヒェと呼ばれ、毎年子供祭が開かれ語り継がれています。
ローテンブルクを出るとすぐ田園風景が始まります。次の町まではどこにも寄れる場所がありません。
この辺りでは、トウモロコシ畑をよく見ました。飼料にしているのでしょう。後は小麦畑。アスパラガス畑もありましたね。
バス駐車場から見た町並み。
4つの門と、数基の見張り塔があります。
ここは鉄道が使えない不便な地であり、アウトバーンからも離れています。
それだけに、この町に立ち寄れたことをうれしく思います。
正規の門ではありませんが、駐車場から一番近い橋を渡り堀を越え、市街に入っていきます。
ヴェルニッツ川より引き込まれているらしいお堀。川岸から植物が覆いかぶさり、中世の雰囲気を強く感じさせる町並みになりました。
町を囲む市壁
頭の上を塞ぐように枝をいっぱいしならせて実を付けるプルーン。数日置くと味がよくなります。微妙に獲れない高さなんです。
つる性のきれいな紫色の花も、その下に咲いていました。
目抜き通りであるネルトリンガー通りを、マルクト広場方面に向かいます。
ぎりぎり見える左の塔が’聖パウリ教会’、ほぼ中心に見えている塔が’聖ゲオルク教会’。
この町は、観光地でありながら一般市民も町の中で暮らしています。建物は集合住宅になっており、皆さんここから出勤していきます。なんか憧れる環境です。
お店も、市民用のが多いようです。
正規の4つの門の一つ、ヴェルニッツ門。駐車場から一番近い門です。
こちらの石畳も固く、振動がすごいです。
でも、比較的凸凹していないかも。足は疲れますので、歩きやすい靴で来たいですね。
マルクト広場へ。通りは幅が広く、開放感があります。歩道はベンチが多くあります。
立ち並ぶ建物が、それぞれの建物を引き立てているようで、町全体に不思議な調和があります。(その理由は後ほど)
右写真の一番手前の塔が突き出した建物は、壁の赤さから’ローテスハウス(赤い家)’と呼ばれています。
現在は観光案内所として使用されています。
外国を旅する中で困ることは、一番にトイレがあげられます。
日本のように、気軽にトイレに寄れる店や、公衆トイレは少ないです。あっても有料ということも考えられます。
ですから、トイレがある場所に行ったら、迷わず入ること。これが鉄則になります。
この町では、日本人の経営店があり、そちらで買い物しながら借りました。
また、駐車場にも公衆トイレが一つだけあります。日本の気楽さは望んではいけないのです!
南ドイツ伝統の木組みの家であり、一番美しいといわれている、その名も’ドイチェスハウス’。内部も美しいようです。
ドイチェスハウスから2軒目、黄色い色の建物は、元穀物庫。
この町には、元穀物庫がたくさんあります。
取引されていたこともあるでしょうが、戦争時の備蓄に当てていたようです。
中世の時代は、それだけ戦争が多かったようです。
こちらは、今では劇場として使用されています。
家は、屋根ごとに独立していますが、壁はお隣の建物とくっつくほど。
でも微妙に造りはお隣と違っています。
それは、この町独自の厳しい建築規制のためでしょう。例えば、屋根は茶色のレンガを使用し、角度は45度にすること。窓枠はガラスを十字に切る形にすること。壁の色はお隣と違う色にすること。などなど、さらに細かい規制があるおかげで、この町並みを保存できているのです。
それが、最初に感じた調和を体現していたのですね。
道路向かいにある、キンダーツェヒェの場面を描いた壁の絵。
他にも美しい建物が続きます。今日は平日。皆さん働きに出ているようで、町は静か。
観光客も、この町は少ないです。
南ドイツの会堂教会で、もっとも美しいと言われる、聖ゲオルグ教会。
教会のすぐ横に作られている、神学者であり、児童文学者であるクリスト・フォン・シュミートの像。
通りの途中にあった噴水。どの町においても必ず見かけるものの一つです。
途中、町のスーパーに寄りました。これは旅行前から聞いていたことでしたが、「町のスーパーなどのレジの店員さんは日本とは違うから覚悟していくように。」とアドバイスされていました。
今まで観光地で買い物をしていたので、皆親切で愛想のよい方ばかりでしたが、確かに一般のお店の方は、意外とつっけんどん。ツーリストは迷惑な存在なのか、さっさとおいやられたり、早口にまくし立てたり。
ここでも、嫌な気にさせられる店員さんでしたが、水を買うのでもお店じゃないと買えないので強くならねばなりません!
まったく日本のお店が恋しく思います。
もちろん、愛想の話では、そんなことはないと異論を唱える方もいるでしょうし、自分が神経質すぎるのかもしれません。今回他にスイス、パリでも嫌な気分にさせられるお店がありました。逆にそれが文化の違い、そんなものだと思ってお店に入る方がよいのでしょう。レジが混んでいても、けっして急がないマイペースさもある意味感心です。
お店のことは、またおいおい書いていきます。
しかし意外だったのは、店員さんの計算の早さ。出したお金に対して、すぐにおつりの数字が頭で計算されています。しかも、効率のよいおつり支払うようにお金を出すように言われることもあり、ヨーロッパ人の回転の早さに緊張しました。(それはこちらがユーロ慣れしていなくて、コインを見ただけでは判断できないからとも言えます)
ソリダゴの花
カンナ
庭につながれていたわん。
その子供が2匹周りを駆け回っていました。お母さんは寝ているように見えて、しっかり監視しています。
やはりエコな乗り物、馬車が街中を回ります。現在フンの始末に一時停車中。そっか、排出物はゼロじゃないんですね。
オオバベンケイソウ
シンプルですが、センスのよい公衆電話。
カード専門のタイプです。
ちゃんとボックスになっていますよ。
駐車場隣にあったお宅の庭。その自宅の庭で、乗用式の芝刈り機を操る少年。お父さんが見守る中、細かいところは気にせず、とにかく広い庭の芝を刈って行きます。
手馴れたハンドルさばきに、しばし見入ってしまいました。でも木の手入れはしないんですよねー。
なんにしても、自宅の庭で乗用芝刈り機を使う日本の家は自分のお客様にはいらっしゃいませんね。
ディンケルスビュールの町を出てからは、ノンストップで終点フュッセンを目指します。
ここから約4時間半の道のり。
少しでも参考になればと、バスの車窓からの風景を掲載していきたいと思います。
バスの車窓から
これから徐々に増えてくる風景、放牧中の牛達です。
ジャージー種でしょうか?日本とは牛の品種が違うよう。
このような広い牧草地意外でも、リンゴ畑の中や、斜面にも牛達が突然出現します。結構びっくりするところにいたりします。
いきなり道を二つに割って、中央に現れたモニュメント。
キリスト教の聖者が彫ってあるようです。こちらではあちこちの町に立っているそうです。
とうもろこし畑や、ヒマワリ畑。この周辺が穀倉地帯であることがよくわかる風景が続いていきます。
遠方に捉えたのは、ネルトリンゲンの町。
ほぼ円形に城壁に囲まれている町。
ガイドブックで町の見取り図を見ただけで、その形の良さに寄ってみたくなった町です。
町の中央にあるマルクト広場の、聖ゲオルク教会には、’ダニエルの塔’と呼ばれる物見の塔があり、ここから四方を見渡すことができるそうです。
この町に惹かれた理由の一つに、この地が約15億年前、隕石の落下によってできた盆地であることです。中世どころか、地球の誕生当時にまで遡る歴史ロマンに、今回は通り過ぎるだけなのが非常に残念でなりませんでした。
町の門が見えてきました。
バスの車内ながら、木々の切れる絶好の撮影ポイントまでカメラを構えじっと耐えます。
「今だっ!」とシャッターを切った瞬間、狙っていた窓に座っていたツアー客が、グッドタイミングでカーテンを閉めました!こ、こんなドンピシャで閉められるなんて。力が抜けちゃいましたよ。
この方は、一人で参加されていた通称’おじさん’。行きの飛行機の中から他人に迷惑な方だったのですが、この方には成田に着くまで付き合わされることになります。必ず一人いるトリックスターです。
マイペースなだけで、きっと悪い人ではないのでしょうけどね。
というわけでいい写真が一枚も撮れず、この町とはお別れです。きっとまた戻ってくるゾ!
小山の続く道筋に入った途端、小畠さんから「山の上を見ていてください。一瞬ですからね!」と言われながらシャッターを切ったお城。
難攻不落のハールブルク城です。こちらも今ではレストランと、ホテルになっています。
この城を見ながら、ロマンチック街道としばしお別れ。
アウトバーンを使い、時間を短縮します。なので、町紹介もここでになります。
麗しのドナウ川が見えてきました。
ヨハンシュトラウスの’美しき青きドナウ’が頭の中を流れます。
ドイツの黒い森から、黒海に向かって流れていきます。
フュッセンまで、数十キロに迫りました。再びロマンチック街道に戻ります。
木々に変化が見られます。
針葉樹が増えましたね。街路樹もカバノキになりました。
不思議な感じですが、南下しているのに、山あいの気温の低い地方に向かっているのですよね。
山の天気は変わりやすい。途中雨が降りましたが、ドイツ南部は天気は、これから下り坂のよう。
これもドナウの支流のひとつ。
大きな川幅、ゆったりとした流れ、山と海が近い日本とは性格が違います。
やがて、畑から牧草地帯に完全に変化しました。境界のない土地が続きます。
この土地では、主役は牛。
写真左の放牧地から、写真右の牛舎まで、ロマンチック街道を横断して群れで歩いています。
もちろんその間道は封鎖状態。
せっかちな日本人には苦痛ですが、この時間の流れも学ばねばいけないと思いますね。
大草原に建つ教会。
聖コロマン教会です。
すばらしく絵になるロケーションです。雨ではなく、晴れていたら鮮やかなコントラスト見られたでしょう。
建物左側の木の上に、遠めに見える山の中腹の白い建物が、明日行くノイシュバンシュタイン城です。
外見だけでなく、内装もすばらしいそうなので、シュヴァンガウに訪れた際は、寄って行きましょう。
今夜のお宿は、フュッセン郊外にあるホプフェン湖畔に建つホテル・アルペンブリック。
1階のレストランは、食事客で賑わっていました。
今回は普通の鍵でした。
でも、ついているキーホルダーが大きくて重い!Gパンのポケットに入りません。
洗面室の壁は、今までで一番おしゃれです。
雨は小康状態に入りました。もう七時過ぎなんですが、まだ写真が撮れました。
ホテルのすぐ道路向こうの湖畔に降り立ちます。
ドイツの川は、乳白色を混ぜたような青色をしています。汚いわけではありません(もちろんきれいと言い切っちゃうことはできませんけど)。山から流れ出る水が、石灰質を多く含む岩山を溶かしながら流れいずるせいで、その溶け出した成分が川に乳白色色を混ぜているのです。
その水をろ過して家庭で使うのですが、自分は単純にミネラルが多く含んでいていいものかと思っていましたが、お腹をくだす原因や、雑菌の繁殖の原因になるそうで、取り扱いは注意した方がいいそうです。
自分も、3日シャワーを浴びているだけで、肌がかさかさに、そしてシミが浮き出たようになりました。
軟水慣れしている日本人には慣れと、スキンケアが必要です。
奥様の得意技、折鶴。
高校時代、アメリカにホームステイした際、折り紙を折って好評だった経験から、必ず海外に行くときは折り紙を持参で出かけています。
そしてホテルの枕元には、枕銭と折鶴。
外人さんには珍しいらしく、喜ばれているようですよ。
明日も早いので、今日はこの辺で休みます。
旅行に来てから、家にいるとき以上に規則正しい生活。しかもよく眠れるのです。
これも学生時代にどこででも、いつでも寝られる生活をしていたことの良い面かな。